ここから本文です

法華経を信仰すると救われる根拠はどこにありますか?

aks********さん

2019/8/1406:50:23

法華経を信仰すると救われる根拠はどこにありますか?

閲覧数:
156
回答数:
16

違反報告

ベストアンサーに選ばれた回答

ino********さん

2019/8/1722:53:50

御釈迦様が説いたとされる教えの神髄これまでに、
明確にされていない、「信じるべき対象」を

明確に明らかにしたからではないでしょうか?

具体的に申し上げれば、

これまででは、根本仏、あるいは最初仏、
つまり、すべての仏たちは

「私はいついつ仏に成った(悟りを得た)」と言うのですが、

では、凡夫が修業して、師となる仏は、なしで自分だけで、
仏に成ったの?

もしそうであれば、
仏や、仏の教えがなくとも、自分で、仏に成れるのかな?

これが、これまでの未解決の問題でしたね。

当然、これまでのように、仏への信仰等なくても、
自分で、開悟が可能とばかり、

ついには「私は昨日、開悟しました」が続出しますね。


ですから、諸仏の師が明確になって、初めて、

私も、阿弥陀様のように、「阿弥陀様の師」に付いて修業したい。

大日如来の師に付いて修業して、大日如来様みたいに正悟したい。
私は御釈迦様の師に付いて・・・・。となるのでしょうが、

これまでにはこれら「諸仏の師匠仏」を
明らかにした教えはありませんでしたね。

いわゆる、「始成正覚論」つまり、どの仏様も、

「私はいついつ、初めて悟りを得ました」と言うばかりで、
「師の存在」については明かされていないのです。

「わたしは大昔に初めて仏となりました」では、やはり、
「初めて」なので、残念ながら、
「始成正覚仏」の域を出ませんね。


ところがこの法華経に来て、
互具思想が説かれ、諸仏の師が明かされるのです。

彼はなんと、無始に仏であり、しかも、
無終の存在であるのだと。

この、法華経迹門での互具思想とか、
法華経本門で明かされる無始無終の仏の存在は
あまりにも、唐突的であり、

これまでのすべての教えを
「ひっくりかえす」ような、まるで、「難信難解」、まさに

「そんな、うそだろ」ぐらいに驚愕する内容なのであり、

ここで、私ごときがこれ以上、口を挟むことは慎みます。

結論を言えば、
法華経後半において明かした「諸仏を仏に導いた無始の仏」を

我々も礼拝供養して、諸もろの仏のような境涯を得ようね。・・・
なのでは?

この回答は投票によってベストアンサーに選ばれました!

ベストアンサー以外の回答

1〜5件/15件中

並び替え:回答日時の
新しい順
|古い順

2019/8/1906:18:42

法華経に関して口にする誰もが本当の意味で法華経を信仰しているようにどうしても思えません。信仰した気になっているだけに見えてしまいます。

法華経で「如来はただ菩薩のみを教化したもう」とあります。本来は法華経は一般人向けでは無くて、菩薩の人向けだと解しています。もちろん、経典は万人に広く開かれていると思います。

youichi5959さん

2019/8/1822:24:14

『法華経』は修行の教えです。信仰するということは『法華経』の通り
に修行してこそ、『法華経』の教えを信じていることになります。

誰かが『妙法蓮華経』(法華経の正式名)の前に「南無」を付けただけで
『法華経』の通り修行したことになると言った者がいましたが横着男の
レッテル張られています。


この法華経は深智の為に説く、浅識はこれを聞いて迷惑して悟らず、
一切の声聞及び辟支仏は、この経の中においては、力及ばざるなり。

無智の人の中に於てはこの経を説くこと勿れ、もし利根にして智慧
明らかに多聞強識にして仏道を求むる者あらば、かくの如き人の為に
説くべし。 (法華経 譬喩品)


『法華経法師品』には
法華経を説くものは室・衣・座の三軌を守れとある。
簡単に言うと
室…一切の人々に大慈悲をもって接しよ

害心もって向かってくる者あらば一人子のように思えとある。

衣…如何に苦しくとも笑ってしのべとある。

座…一切のものに執着を断てとある。

この室・衣・座の三軌が完全に守れてこそ法華経を説くことが出来る
のだ。

『安楽行品』に説かれているように、処女や未亡人と話してはならない。
女を見て喜んではならぬとか、全く世捨て人にって初めて『法華経』を
受持して大衆に説いて勧める資格があると説かれているではありませんか。


難行道の教えといわれるゆえんです。


この通りに修行している人がこの世にありますか?




「南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経~」といくら唱えて
も、それは横着者のやることです。


これでは何でも有りだね。


最後に「南無妙法蓮華経」の七字、一切経に説かれてあれば何経ですか?

あったら出してもらえませんか。

きんさいさん

2019/8/1808:17:40

今末法『に入りぬれば余経も法華経もせんなし、但南無妙法蓮華経なるべし』
(上野殿御返事)

と仰せです

v^-^

ind********さん

2019/8/1804:14:32

過去には超長期 封建時代が続き 専制政治 独裁政権 恐怖政治の時代が続いたが、世界中が民主主義に向かう法治国家となった現在 提示されている古い時代から人気の架空の極楽に招待するインド人座像でもなく 完全でない憲法や世法の末法を超越して上を行く 信じて拝む御法様の本門八品の本尊の南無妙法蓮華経を唱え続ければ、お釈迦様とご契約の経力により必ずご利益が頂けます。

lio********さん

2019/8/1800:23:33

日蓮大聖人は唱法華題目抄にて、「妙法の二字に諸仏皆収まれり、故に妙法蓮華経の五字を唱うる功徳莫大なり」と仰せです。

法華経はすべての民衆の自立のために説かれた教えです。
羅什三蔵のシンプルな漢訳によれば、法華経には「衆生を饒益し安楽ならしめたもう所多き」と説かれています。
法華経はすべての人々の真の幸福と安楽のために説かれたのだ、ということです。

竜樹の大智度論には「仏口の所説を弟子誦習し、書として経巻を作る」とあります。経巻とは大乗経典のことです。

長阿含経にも「當自歸依歸依於法。勿他歸依。」と説かれています。自らに帰依し、帰依するならば妙法に於いてで、他に帰依することなかれ、ということです。

「法を依りどころとせよ」という教えは釈尊の悟りであり、釈尊が生涯をかけて広めた教えであり、その妙法がすべての民衆に対して明らかに説かれているのが法華経です。

釈尊は永遠の法、永遠の仏を師として仏になったのです。釈尊が師とした同じ永遠の法、永遠の仏こそが南無妙法蓮華経であり、妙法を師とせよというのは、釈尊の成道から涅槃まで一貫した主張です。

成仏とは仏になる、仏になろうとすることではなく、己心の妙法蓮華経を信じること、覚悟することです。それが信心です。

みんなで作る知恵袋 悩みや疑問、なんでも気軽にきいちゃおう!

Q&Aをキーワードで検索:

Yahoo! JAPANは、回答に記載された内容の信ぴょう性、正確性を保証しておりません。
お客様自身の責任と判断で、ご利用ください。
本文はここまでです このページの先頭へ

「追加する」ボタンを押してください。

閉じる

※知恵コレクションに追加された質問は選択されたID/ニックネームのMy知恵袋で確認できます。

不適切な投稿でないことを報告しました。

閉じる