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三国志の英訳って、Three Kingdomsですよね。

kag********さん

2019/8/1521:23:50

三国志の英訳って、Three Kingdomsですよね。

魏・呉・蜀(漢)の国家元首はどれも皇帝なのに、Three Empiresではないのは何故ですか?

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ste********さん

2019/8/1701:01:41

歴史用語の翻訳は、難しいという例の一つということでしょう。

中国の皇帝という君主号を、emperorと訳すことが
果たして妥当なのかという問題があります。

歴史上の称号や概念のようなものは、意訳することはできますが、
実際に完全にイコールと断言できないこともしばしばあります。
例えば、イスラーム世界のスルタンは、あえて訳せば国王なのか
皇帝なのか、というように各国の君主号を翻訳することは
なかなか難しい作業になります。
ですから、最近はあえて訳さずにそのまま使用することが
多くなってきています。

もう少し脱線すると、例えば幕末の日本の事実上の君主は
幕府の将軍になりますが、この将軍を英語でどう訳すかという
ことは、二転三転したようです。
最初は、kingかemperorの二択で悩んだようですが、
イギリス側も日本の内情が少しずつ分かって来るにつれ、
どうもkingでもemperorでもないらしいと気が付き、
最終的に、tycoonに落ち着いたようです。
これは、大君を由来にした用語でした。

https://kotobank.jp/word/%E3%82%BF%E3%82%A4%E3%82%AF%E3%83%BC%E3%83...

三国時代を「Three Kingdoms 」と訳すのは、
やはり地方政権が分裂・割拠していたという状況を表現するための
工夫なのでしょう。

例えば、五胡十六国時代は、「Sixteen Kingdoms」と訳して
いるようです。
(または、Sixteen Statesだそうです)
ちなみに、戦国時代は「Warring States」だそうです。

また、五胡十六国時代は、「Five Dynasties and Ten Kingdoms」
となるようです。

地方政権を、キングダムかステイトと訳しているのでしょう。

歴史用語としての「帝国」は、必ずしも君主が皇帝であることを
意味していません。

https://kotobank.jp/word/%E5%B8%9D%E5%9B%BD-100019

これを逆に考えれば、君主が皇帝であっても、必ずしも帝国と
呼べる国家ではないこともあるわけです。
三国時代の場合、各国の君主が皇帝であっても、
それぞれの国が帝国では無いと判断することもできるわけです。

  • ste********さん

    2019/8/1701:11:49

    〔蛇足〕
    『三国志演義』は英訳では「Romance of the Three Kingdoms」
    となります。
    演義をなぜかロマンスと訳しているわけです。
    『三国志演義』のどこにロマンスが、と思ってしまいますが、
    おそらくはこういう理由なのだと思われます。

    romanceという単語は、中世の騎士道物語を意味する
    ことがあります。
    おそらく、ヨーロッパでは『三国志演義』は
    『アーサー王物語』などと同工異曲の文学とみなされたの
    でしょう。

    https://kotobank.jp/ejword/romance

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質問した人からのコメント

2019/8/17 01:58:23

中国語の天子と王、日本語の皇帝と王、英語のemperorとkingはどれもニュアンスが少しずつ違う…という事ですね。
質問を投稿してから自分でも色々調べているうち、何となくそんな事が分かってきました。
私の知りたかった回答に一番近く、かつ詳しく答えてくださったこちらをベストアンサーにさせていただきます。
ありがとうございました。

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jok********さん

2019/8/1700:59:56

三国志演義の一番の見せ場は、赤壁の戦いですが、その時は、まだ後漢の献帝は健在で、曹操は丞相だし、孫権も呉公の時代です。劉備も、皇伯と言われていた時代で、関中くらいしか足場のない時です。公のレベルでしかない。
これが、どうしたらthree empiresと言えるのでしょう。
三国鼎立になるのは、劉備が巴蜀を奪ってから、それも、関羽が亡くなってからです。物語の後半です。でも後半の話って、孔明と司馬懿仲達のお話だし。
Kingdomsくらいがちょうどいい。

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みーさん

2019/8/1700:08:58

天下統一をしていないから、Empireではないのだと思います。

皇帝は天下統一した中国の君主の称号だから、三国志の皇帝には、本当は皇帝と名乗る資格はありません。魏が献帝から禅譲を受けて皇帝になったのに対抗して劉備が皇帝になり、孫権も何となく皇帝になりましたが、天下統一していないので偽の皇帝です。だから、kingdomsなのだと思います。

晋は天下統一したから、Empireです。(英語版WIKIを見たら、ちゃんとそのようになっていました。)

2019/8/1600:08:59

正しくは
History of Three Kingdoms
ですけど。

そもそも三国志って、184年の黄巾の乱~280年の呉の滅亡までの時代の歴史のことを総称して言うので、魏・蜀・呉の3国が帝国として並立していた時代は229年~263年の間だけであったわけです。つまり、元々三国志というワードがややナンセンスなんですよ。
それに、英語でいうempireとは、強大な一つの帝国という、意味合いが強いので、3つの国をそれぞれempireと呼ぶのはやや無理があるわけです。それに、中国は一つの王朝(帝国)が国を治めるという意識が強い国なので、3つの帝国が国(中華・中国)を治めているというのはややおかしな発想なわけです。まあ、五胡十六国時代や、南北朝時代、五代十国時代などで、自称帝国が乱立していましたが、まともな帝国だったかには疑問が残ります。それと同じで、魏・蜀・呉も果たして強大な帝国と名乗ることはできたでしょうか?否。できなかったでしょう。その一方で、王国は中華の国土にいくつも分立してきた歴史があります。まず、春秋戦国時代には、周王朝から王に封じられた人々が次々と誕生し、春秋の五覇や戦国の七雄に見られるような、王、そして王国が乱立しました。そして、始皇帝が天下を統一した後も、漢以降の王朝(晋隋唐宋明清)においては、皇族は皇帝(主に父皇)から各地の王に封じられていたのです。それと同じで分立=王国みたいなイメージと結び付いて、History of Three Kingdoms という英訳が当てはめられたのではないでしょうかね?すみません、こんな変な回答で。つまり、一つの強大な帝国ではなく、3つの弱い帝国が分立していたとうことから、empireではなくkingdomの方が言いえて妙だったわけなんです。ですが、英作文などで History of Three Empires と書いても、減点はされないと思いますよ。とどのつまりは、このような議論が不毛なんですわ。

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不破純人さん

編集あり2019/8/1522:05:27

自称皇帝ですから……地球の裏側のイギリスからしたら、合わせて1つの中国って認識でもあるしね。

そだ、思い出した。ローマ帝国って、確か、1つの帝国なのに、ある時から4人の皇帝がいたんだよ。だから、1つの帝国に複数人の皇帝がいても、戦乱のイメージにつながらない。そして、ヨーロッパ史からすると、帝国同士が戦った歴史がない。

だから、戦乱に明け暮れるイメージを持たせるためには、3つの王国でないとダメなんだよ。王国同士の戦いなら、頻繁に起こったからね。

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