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晩年の関羽ってなんか老害の典型って感じじゃないですか??

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ID非公開さん

2019/9/913:31:16

晩年の関羽ってなんか老害の典型って感じじゃないですか??

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njf********さん

2019/9/919:03:09

たしかに老害ともとれますが傲慢が一番の原因でしょうね。あと刑州の時はほぼ群雄の地位にいました。
劉備の部下というよりは曹操孫権と肩を並べる君主としての立場にあったと推測されます。なので配下の者たちへ印璽を授けてますし、ほぼ独断で曹操領へ出兵しています。また孫権から結婚の話しもでてます。普通君主が敵の部下との婚礼を提案なんて考えられないことです。これを劉備に確認することなく断っていますのでほぼ対等な関係であったと推測できます。関羽からみれば三国志ではなく四国志でしょうね

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パグ13さん

編集あり2019/9/1521:26:24

そうですね。

孫権の子との縁談を断るシーンなんて、関羽の最大の失敗だと思いました。

初期は武力と知恵を兼ね備えた名将関羽でしたが、組織が大きくなり、魏と呉と接する緊張地帯をまかされ、なめられてはいかん、と気概を示したのかもしれませんが、政治家としての役割を担うには無理があったようです。

まあしかし、補給を軽視したとは言え、曹操から古の将に勝ると評価を受けた于禁の軍を破り、樊城を落とす寸前まで行って、曹操に首都遷都まで考えさせたのですから、魏始まって以来の危機だったでしょうし、ある人は関羽をロンメルに例えるほど(快進撃をしたのは補給を軽視していたからという半分悪い意味ですが)の評価もあるし、ある意味魏と呉の二つの国のチカラでなければ関羽を討てなかったのどから、さすが軍神と呼ばれるだけあるとも思います。

kum********さん

2019/9/1016:38:42

劉備との関係から誰も手が出せなかったのが、多分関羽にとってはアカンかったと思う。言ってしまえば劉備の元に戻ったのがいかん。

性格自体はそんなに問題じゃない。魏でも張遼や楽進とかは仲が悪くて云々と性格に難があることが書かれたりもしているけど、それが直接的な問題になったことはない。

結局劉備に近すぎて誰も意見が言えなかったのが問題であり、例えば曹操の下から去らずに一武将としての扱われていたら、全然評価が違ってたと思う。

みーさん

2019/9/921:32:53

そのとうりだと思います。
傲慢で人の話を聞けない勘違いじいさん。

最終的には劉備の足を引っ張ってまわりを困らせてました。序盤の実績も霞んでしまい、彼の人生を均したら平凡な武将ですね。

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