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旧日本海軍の鎮守府は どこも山が近くて平野の少ない地形の所に巨大な軍港や工廠な...

fou********さん

2019/9/2009:07:23

旧日本海軍の鎮守府は どこも山が近くて平野の少ない地形の所に巨大な軍港や工廠などを設けたのでしょうか?

単に明治時代に遠浅の地形を埋め立てる技術が無く、急峻で湾が深いところを選んだだけなのでしょうか?

それとも敵の攻撃を受けにくくする様に 深い湾を選んだのでしょうか?

横須賀も呉も佐世保も舞鶴も 山が近くて平野が狭く、ドックや工廠を拡大するのに山を崩したり、埋め立てたりで 工事が難しい地形の所に造ってあるイメージがあります。

補足ご回答ありがとうございました。

横須賀、呉、舞鶴、大湊を巡って 山が近く、平地が少ないところに張り付く様に工場やドックが並んでいるのを見て、他の商業港に比べると 不便そうだったので、皆さんの回答を見てスッキリしました。

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eb7********さん

2019/9/2014:42:52

海軍基地の絶対条件は”良港である事”ですからね。

軍港としての”良港”は、単に大型艦の接岸が楽なだけではなく、港口が狭く、港を守護する砲台が多数容易に置ける地形が必要です。干潮の差が大きくない事も重要です。それら3条件を満たした上で、交通の便や製鉄所との距離、後背地としての住民の数、将来的な用地の拡張容易さなども考慮されたでしょうね。もちろん鎮守府は担当エリアのおおよそ中央に所在すべきです。

「単に明治時代に遠浅の地形を埋め立てる技術が無く」と書かれていますが、現在でも遠浅の地形はあらゆる点で港湾に向きません。例えば、神戸が六甲山を背に戴いて比較的急峻な地形ではありますが、港としてはさほど優れているとは言えません。コンテナ船が大型化した時期と重なって阪神淡路大地震で港の浚渫などが後手に回った事ですっかりアジアのハブ港湾の座を追われ、香港、シンガポール、高雄、釜山に次々に追い越されました。

後背地や陸上交通の便も重要ですが、港の良し悪しは岸壁水深や水路部の深さ広さで決まると言っても過言ではありません。「急峻で湾が深い」事は非常に重要な要素です。

  • 質問者

    fou********さん

    2019/9/2114:38:20

    やはり軍港としての防御を考えていたんですね。
    確かに外から攻めるのに湾内が見えにくいですからね。
    明治時代には敵艦隊に攻め立てられることを考慮していたんですね。

    アメリカのサンディエゴやロングビーチは平地に造っているので、攻められることは考慮しなかったのでしょうね。

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gia********さん

2019/9/2100:30:20

港ってのは波や風や潮の影響を受けにくい
入り組んだ地形に作るものだからだよ
外海に面した真っ平らな海岸線に港なんか作らない

iik********さん

2019/9/2100:17:56

日本列島は、人類にとって突端に近い到達地ですが、それでも「旧人」のレベルから10万年の居住があるんです。
当然、「明治」の昔とは言え、広い平野に面した良港の地、なんてのは、それなりの都市化がしていたんです、村落化、かな?

そうした中での選択であり、あえてそうした「既存の良港」を選ぶか、「山がちな地の新港」を開発するか、といった部分もあったんでしょうね。

ただ、多少、結果的な部分もあったでしょうが、おかげで、周囲の丘陵が軍港内を見渡せる範囲も狭くなって、悪いことばかりではない訳です。
現代は航空偵察を含めていろいろな方法が取り得ますが、例えば「日露戦争」では「旅順港」を観測できる「203高地」が奪い合いになった事実をご存知でしょう。

それと「遠浅の地形を埋め立てる」という技術で言えば、ちょっと時代が違うかもしれません。

日本で、そういった開発が進められたので有名なのは、何と言っても徳川時代の「江戸」の開発でしょう。
ここは広い湾を前に広い平地がありながら、地盤工事の技術が無い時代には「道」を通すことさえ困難で、古代の街道はわざわざ河口部を避けて、丘陵部と湾を船で横断するという方法を取っていました。
大坂や名古屋も皆そうですね。

だから、明治時代なら、選択によっては、そういう方法を取れなかったわけではありません。
例えば「陸蒸気」と呼ばれた「汽車」も、当時は激しい反対運動にあって、当時の線路は海上に築堤して路線を作っています。

同じように、当時の「品川港」を軍港化することだって、技術的に出来ないことじゃなかったでしょう。
でも、そうなっていたら、「東京」の拡大が「品川」を完全に飲み込んでしまったように、結局「軍港移転」になっていたでしょうね。
それじゃあ「軍機保持」も何もないですからね。

だいたい、今ほどではないにしても、「平地」の「高開発」されているであろう民有地を接収するより、多少、山だろうが開発した方が却って低コストだったりします。
「東北新幹線」が、わざわざ「山」を選んでコース選定されたをご存知ないですかね?

そういう点から考えても、日本はそれほど「新規港」を開設するのが難しい国でもありません。
例えば、「ドイツ」の沿岸部は、大河の河口部などを除くと、いずれも引き潮時には何キロも陸地が現れる、といった地形で、お陰で「上陸作戦」の心配は劇的に低くなりますが、「良港」の確保には苦しむところがあり、バイキングの時代ならともかく、近代艦戦には水深が浅すぎたりしました。
よって、「キール」や「ウィルヘルムスハーフェン」は新型戦艦の竣工に合わせて、しばしば「浚渫作業」が必要でした。

ともかく、現在までの歴史を考えても、「4軍港」はそれなりに良い地を選んでいると思いますけれどね。

tem********さん

2019/9/2021:37:16

敢えて内海や入り江の中、あるいは山に囲まれ、敵の攻撃を受けにくい港を選んだためでしょう。
海軍が日本沿岸を5海軍区に分け各海軍区に鎮守府と軍港を置いたとき、いずれも内海や地形が複雑で外洋に面していない港に設置されています。
横須賀、呉、佐世保、舞鶴、みなそうです。
当初東北・北海道では、製鉄所や製鋼所のある北海道の室蘭市に置く予定でしたが、外洋に面し敵の攻撃を受けやすいため、青森県下北半島内にある大湊(現むつ市)に置かれました(鎮守府ではなく要港部となりましたが)。
実際、太平洋戦争末期に室蘭市は東隣の登別市沖からアイオワなど戦艦3、軽巡2、駆逐艦8からなる米艦隊の艦砲射撃を受け、工場群に大損害を受けています。

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tam********さん

2019/9/2017:00:00

「山が近いほど、その先の海下は深い」という事は、この質問で調べるまで知りませんでした。
確かにヨーロッパの方でフィヨルドの湾に軍艦をつなぐことがあったと聞いてるので、深さはあるんでしょうね。

当時だと、浚渫技術がクレーンによる浚渫で、超大型のバケットのものはなかったでしょうし、今のような最新式の機械とかもなかったので、作業も非効率なので、そのような地は選ばれなかったんでしょう。

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2019/9/2009:39:13

先ず軍港選びから始まりました。横須賀、呉は敵の侵入しにくい
東京湾内や瀬戸内海に設けられました。横須賀は江戸時代末に工
場やドックが作られこれを拡張しています。呉は周囲の丘陵を削
り海面を埋め立て工場やドックを設けてました。
佐世保や舞鶴も同様に軍港重視で選ばれましたが、横須賀、呉よ
りは規模は劣りますが旧海軍、海自には重要な施設です。


うん、うん、なるほどねwww

先ず軍港選びから始まりました。横須賀、呉は敵の侵入しにくい...

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