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日本には昔から王さまがいないわけです。 それなのに「王」という言葉や「王」と...

りなちゃんですのさん

2019/9/2906:12:48

日本には昔から王さまがいないわけです。
それなのに「王」という言葉や「王」という概念が存在し続けていたのは何故ですか?

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ベストアンサーに選ばれた回答

2019/9/3023:37:52

第23代顕宗天皇は即位前、袁祁王と名乗っていました。
第24代仁賢天皇は即位前、意富祁王と名乗っていました。

第二の聖徳太子になることを恐れられ、蘇我入鹿に攻め滅ぼされた、聖徳太子の息子さんは、山背大兄王です。

残念ながら、日本は大昔から王さまだらけです。

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cel********さん

2019/9/2916:51:31

日本には昔から涅槃も浄土もないけど、いずれも言葉は使われていますよね…
外来の観念が一旦受け入れられ、それが引き継がれて行くと、言葉も存在し続ける、それ自体はさほど不思議じゃないですが、それはさておき…

『日本には昔から王さまがいないわけ』ではありませんよ。後述の様に、天皇を(国)王と《も》呼ぶ慣習は古くからありましたから…
言い方を変えれば、あなたが『昔から王さまがいない』と思ったのは、現代人の一人のあなた個人がイメージする『王』が日本には昔からいなかった(と、あなたが思った)だけの事で、それぞれの時代の日本人のイメージする『王』がいたかいなかったか、って話は、全然別ですよ。

こうした話は、それぞれの時代の文字史料で『王』と言う言葉がどう言った意味で使われているか、それを調べる事から、話が始まります。

結論から言えば…

近現代より前の日本語の王の使用例は、そのルーツは二つの系統に分かれます。

一つは、 ”貴人”を指すkimiを漢字表記する際に、君、公、と共に『王』と言う字も使ったもので、現在の皇室典範で、天皇から見て三世以下の嫡男系嫡出の子孫は,男を王,女を女王としているのも、突き詰めるとその名残です。偶々、王と言う漢字を選択した、ってだけの事なんで、これをもって日本にも王がいた、と言うのは、御質問からすればかなり的外れの気はします。元の意味が違い過ぎますのでね…(詳細は後述)

もう一つは、中国から『輸入した』《王》の概念に沿った使い方で、

① 地上唯一の正統な君主と言う『中華思想的』意味の王

② 国の君主と言う意味の王

③ 仏教での、仏に対して、世俗世界のトップとしての「王」

の三つですが、どの意味でも、日本では結局は天皇を指す事になってしまいますし、ご存知かとは思いますが、日本は中国の冊封体制の中に入っていた時期が短いので、『②の意味だと、中国(但し漢以降)では上位者に皇帝がいる事になってしまう』って事をそれほど強く意識せずに使っていたフシが濃厚で、日本語の文章で①~③の意味で使われた場合は、どのニュアンスが強いかを文意から考えるしかなく、かつ、その区別、特に①と②の区別が判然としない、と言うか、恐らくは、中国の皇帝の臣下とはさして意識せずに天皇を『王』と呼んでいた、と思われます。

実例を挙げておきます。

①の意味の用例として、称号の王ではないのを知りつつ挙げると、日本書紀の崇神天皇十年七月己酉の

然遠荒人等。猶不受正朔。是未習王化耳。其選郡卿。遣于四方。令知朕意。

があります。これは、崇神天皇が『遠くの野蛮人は、正朔(正しい暦)を受け入れず、まだ《王化》に習わない=王の徳に従わないから、”郡卿”を選んで四方に派遣し、我が意を知らしめよ』と言った、って話です。勿論、史実として崇神天皇がホントにこんな事を言っていたかどうかは別ですが、中国文化の影響が強かった奈良時代に編纂された日本書紀の『小中華思想』が良く現れた表現ではあります。
日本書紀では、中国を大唐と呼ぶ表現がバンバン出てくる(つまり、中国を自分達の上に見ている)一方、前漢時代に纏められた儒教の「礼」に関する本である「礼記」で孔子の言葉とされている「天無二日、土無二王」(天に太陽が二つないのと同じように、地上に二人の王はいない)に代表される様な『文明人の君主として地上唯一の存在』と言う、中国の伝統的な観念での『王』に、天皇を準えている、って事です。

中国万歳!一辺倒ではなくなった平安時代になると、(恐らく、中国の皇帝の臣下を指す王、と言う意識はさほど無く)天皇を国王と《も》呼んでいました。例えば、平安時代後期成立の「大鏡」は、花山天皇の出家について

「また、国王の位をすて給へる出家の御功徳、かぎりなき御ことにこそ御座しますらめ。」

と書いています。天皇の地位を捨てる事を「国王の位を捨てる」と表現していますね。

鎌倉時代初め成立の愚管抄巻三でも、

『この崇峻天皇の馬子の大臣にころされ給ひて、大臣にすこしのとがもおこなれず、よきことをしたる躰にてさてやみたることは、いかにとふとも、昔の人もさたしこれをあやめさたしをくべし。今の人も又これをこころうべし。日本国ニハ当時国王をころしまいらせたることは大方なし。又あるまじとひしと定めたる国なり。それにこの王と安康天皇とばかり也。』

と書いています。崇峻天皇を国王とか王とか呼んでいますよね。

第七巻では、

「日本国の習ひは、国王の種姓の人ならぬ筋を国王にはすまじと、神の代より定めたる国なり。」

とあります。
日本の慣習では、天皇家の血筋を引いていなければ天皇にはしない事が、神代から決まっている、という意味の文章で、天皇家の血筋という意味のところを「国王の種姓」と書き、天皇にはしない、という意味のところを「国王にはすまじ」と書いています。

南北朝時代に北畠親房が書いた「神皇正統記」の清和天皇に関する記述では、

『藤原の一門神代よりゆゑありて国王をたすけ奉ることはさきにも所々にしるし侍りき。』

と、「藤原氏が神代の昔から天皇を助ける」と言う意味で「国王を助ける」と書いています。

この様に、天皇=(国)王、と言う考え方があったからこそ、江戸時代後半に編纂された江戸幕府の公式記録にあたる「徳川実紀」の関ヶ原の戦いの直前に関する記述に、

「天武天皇白鳳のむかし大友皇子と御軍ありしとき、勝軍を奏せし行宮の地にて、今度又君御本陣となされ、昔は天皇此地に於て百王一系の帝業を中興せられ、今は君ここにして千載不朽の洪圖を開かせ給ふ」

と『連綿と続く天皇家』という意味で「百王一系」と書いたり…

幕末の「王政復古の大号令」と呼ばれるものでは、「王政復古国威挽回ノ御基被為立候間」と書いていたりした訳です。

この様に、天皇の正式の称号や(◯◯院と言った)時代毎の呼び方とは別に、長い年月、日本人は天皇を(国)王と《も》呼んで来たんです。

あなたが日本には王はいなかった、と思っても、実は、大鏡の作者や慈円や北畠親房は、天皇と言う正式称号を持つ(国)王が日本にいる、と思っていた、そう言う事ですね…

(御参考)

天皇号が使われ出したのはいつか、については、推古天皇の頃から、と言う説も無くは無いものの、天武天皇の頃からと言うのが最有力、と言って良いと思います。とにかく、推古天皇以前の天皇(と今は呼ばれる地位の人物)が、生きていた頃にも天皇と呼ばれていた、なんて事は、まず思っている人はいません。
じゃ、どんな称号で呼ばれていたか、それがookimi=現代風のカタカナ表記ではオオキミです。(ただし、過去についてはスメロキ)

國學院大學デジタルミュージアムの万葉神事辞典の「おおきみ」の項目(↓)には、

http://k-amc.kokugakuin.ac.jp/DM/detail.do?class_name=col_dsg&data_...

『天皇・皇子・皇女に対する尊称。本来は天皇を対象とするが、万葉集では柿本人麻呂の歌を中心に皇子・皇女に対しても用いられる。用字は一字一音の仮名書きのほか、大王(57例)、王(27例)、大皇(13例)、皇(7例)、大君・多公(各1例)で、大王が最も多く、天皇の表記も8例見られる。大皇・皇は天皇の表記に近く、天皇の称に関連してのものであろう。(引用者による略) 統治者をさす基本的な語彙といえる。統治者のあり方を象徴するのは君主号であり、大枠として大王(だいおう)号から天皇号への展開としてそれは把握される。』

とあります。『一字一音の仮名書き』の例としては、

原文:伊尓之敝乎 於母保須良之母 和期於保伎美 余思努乃美夜乎 安里我欲比賣須

訓読:いにしへを思ほすらしも我ご大君吉野の宮をあり通ひ見す

なんかがあります。

日本書紀にも、推古二十年(612年)の項にある蘇我馬子の歌で、

「夜須瀰志斯 和餓於朋耆瀰能 訶勾理摩須 阿摩能椰蘇訶礙 (以下略)」
(やすみしし 我が大君も 隠ります 天の八十蔭)

があります。

これは、貴人を意味するkimiと言う『日本語』があって、今で言う天皇やその極く近親は、『貴人の中の特に貴人』と言うニュアンスでookimiと呼んでいた、そして、それを文字で書く際には、於保伎美、於朋耆瀰の様な『漢字の音を借りた当て字』や、大王、大皇、皇など、漢字の字義から類推させる表記をしていた、そうした奈良時代の状況を示しています。

貴人と言う意味のkimiには、日本書紀に出てくる下毛野君、鴨君、等々、天武天皇の時に八色の姓の最上位である真人の姓を与えられた息長真人、丹比真人などの天皇家の遠縁の氏族が、それ迄は息長公、丹比公などであった事、これらからすれば、貴人と言う意味のkimiと言う『日本語』は天皇家のメンバー以外にも使われていて、漢字で表記する時は、皇族には王、それ以外には君や公を使った、と考えられます。

日本書紀では、天皇は◯◯天皇、その男子を◯◯皇子、それ以外の皇族男子を◯◯王、と呼んでいますが、古事記では天皇を(神様並みの)◯◯命、皇族男子を◯◯王、と呼んでいます。仮に天皇号が(一部の主張の様に)推古朝迄は遡れるとしても、日本書紀がそれ以前にも『皇子』と言う呼び方を当て嵌めているのは、律令施行直前の状況に合わせて書き換えているだけで、古事記で天皇を◯◯命と呼んでいるのも、万葉集からすると、現実をそのまま反映しているとは考え難く、貴人と言う意味のkimi、貴人中の貴人と言う意味のookimiと言う『日本語』があり、文字で書く時にだけ、皇族は(大)王、それ以外は君、公などと表記した、と考えるべきでしょう。それが、現在の皇室典範で、天皇から見て三世以下の嫡男系嫡出の子孫は,男を王,女を女王としている事に残っているものなので、これは『王』と言う漢字を使っているとは言え、王と言う漢字の意味とは殆んど関係ない使い方です。

kei********さん

2019/9/2912:51:27

まず、シナ文化圏の「王(わう)」から説明します.

「王」という文字は「まさかり」を表す象形文字です.シナでは一地方の支配者が権力の象徴として鉞(まさかり)を用いたので、一地方の権力者を「王」という文字で表しました.

その地方が一つの国家を形成するほど大きい場合、「王」は天子・皇帝を意味します.その王の下で権力を振るう人は「公」と言った.通常は複数いるので、諸侯ともいう.

しかし広大なシナを初めて統一した嬴趙は、自らを始皇帝と名乗った.自らを太陽のように唯一の存在だとしたわけです.当然、それまでの国王の称号であった「王」は一ランク下がり、領地を認められている皇族や諸侯を指すようになる.

また、支配者は天帝という架空の宇宙の支配者にその徳を認められて初めて権力を掌握できるという理屈から、「王」たるものは徳を持って支配する存在を意味するようになり、王道という概念が生じる.いくら支配力が強くても、単なる我欲しかない者は王者ではなく「覇者」に過ぎない.・・・と、そのときどきの状況に応じて色々な意味合いを持つのがシナの「王」という概念であった.

ところで、遣隋使や遣唐使を通じてシナの文明を真似る知識人が日本の朝廷で発言力を得るようになると、日本では「王(わう)」を「きみ」と訓読し、二世以下の皇族に与えられる称号になった.これを左翼系の唯物史観では朝廷による地方支配と考える訳であろうが、むろん実態は違う.成務天皇(ワカタラシヒコ 若いのに才覚の調った立派な男子という意味)の時代、竹ノ内宿祢という大臣が日本の国土の統一を進め、地方自治を監督するため、全土の国々の国造(くにのみやつこ)を拡充した.

この国造というのは、いわば朝廷の地方機関、または朝廷に協力する機関のようなもので、その中にも狭義の「国造(県知事みたいなもの)」、「君(きみ)」「直(あたへ)」「別(わけ)」「稲置(いなき)」などの種別があった.おそらくはシナの侯爵、公爵、伯爵、子爵、男爵の五等に準えて作ったものであろうが、君以下の序列や役割はよく分からない.

ただ、「きみ」だけは、二親等以下の皇族を「王」と書き、「きみ」と訓むので、おそらくは皇統を引く者が地方に領地をもらい、その土地に土着したものだろう.また皇統男子と地方領主(うし=ぬし)との間に出来た子に領地を与え、「別」などと呼んだのかも知れない.なお、領地を与えるというのは、その領地から上がる穀物を俸給とするという意味である.当時は上級公務員の報酬は領地が主な物である.朝廷による地方の統治は、直轄方式ではなく、土着した国造による間接統治であり、そこがシナや朝鮮の官僚制度との大きな違いである.現在の国家公務員は地方の勤務地を転々とし、土地に愛着を持たない.

なお、日本では統治を「統(し)る」方式と「うしはく」方式の二つに分け、これがシナの「王」と「覇」に相当する.「統る(しる)」は「調べる(知り合へる)」と同義であり、対象を手のひらにとって、納得するまでよく知ることであり、「うしはく」は「うし(主)佩く」こと、つまり主となって自分の自由にするという意味である.

両者の違いは明らかで、典型例は日本神話の「天照大神(空から地上を照らす存在)」と「大国主の命.大国主は大穴牟遅神、国作大己貴命、八千矛神、葦原醜男、大物主神、宇都志国玉神など、たくさんの御名を持つが、国土を統一した神、国土の主であることは間違いがない.これに対し天照大神は父イザナギから「天つ国を知らせ」と命じられた神様であり、一度も地上に降りることなく、毎日天上を照らしながら巡る神様である.

天照大御神は使者を地上に降し.大国主の命に国譲りを要請する.そして使者の神々と大国主は話し合いと戦いの末、「すべてが揃った立派な御殿を立ててほしい」と言い遺し、あの世へ姿を隠されたのである.大国主は日本統一に最大の貢献のあった神様であるし、その大事業の跡には潔く身を引かれた.天には輝かしい太陽が昇り、地上はその太陽を祭る日嗣の皇子が知らす国となった.めでたしめでたし.

結論 今も何かと支配したがる小型の煩い王様志望者が結構いますね.企業とか道路上とかに.

lit********さん

2019/9/2911:22:45

源氏

というと多くの人がイメージする
頼朝など村上源氏の初代は
源常基

“源”というのは
姓を持たない皇族が、臣下の身分に下るに際して天皇から下賜されたもの
賜姓皇族
と言いますが
源姓を下賜される前は
六孫王とも呼ばれた
常基王
という皇族だったとされています。

律令制において皇族について規定されていますが
その中で親王宣下を受けない諸王、つまり王についても規定されています。

親王、すなわち皇、皇子の下の皇族として王は位置づけられています。

上にも名前を出した頼朝が
平家打倒のために挙兵したのが
以仁王
の令旨に応じて

以仁王
は後白河法皇の子、皇子だったのですが
親王宣下を受けておらず
親王ではなく王、諸王の身分、身位だったんです。

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goi********さん

2019/9/2910:09:02

は????????

江戸時代まで王号あるんですけど…
白川家という1962年に家系断絶した御家があったのですが、江戸時代までは唯一『王』という称号が与えられました

mon********さん

2019/9/2908:20:07

王は漢語、でも「おう」はヤマト言葉。
そのヤマト言葉を扱う国には、王はいません。

でも古くヤマト言葉をみていくと、オージという音は高貴な人という意味で出てきます。

そんなわけで推測なのですが、ヤマト言葉ではミコトになる前の高貴な人、男性をオージと呼んでいて、女性をヒメと呼んでいたものと思います。
なので、ヒメの対義語がそもそもオージなのです。

これを中国の人が当て字していきます。漢語化ですね。このときに、オージという概念がないため、王子という漢語があてられます。オージと呼ばれる人がたくさんいるので、王ではないが、王子だということです。

漢語はわりと正確に当時の音を残しています。行脚、行動、修行で行がいろんな読み方がされますが、それぞれ言葉が入ってきた時代がわかるほどです。でも王子は読みがそもそもおかしいのです。だからもともとヤマト言葉であろうと思います。

王子が先にできて、それなら王は「おう」だろうという発想ではないかと思います。
ヤマト言葉で王に該当する言葉が他にあるのは確実なのですが、多くの漢語がヤマト言葉をロストさせています。

ちなみに、倭人の祖であるイザナミは外国から来ました。
ゆえに漢語以前の名前には名残がでます。これは漢語を外せば簡単にでます。漢語とは中国に見本がありますので、中国式、意味のある漢語を並べたりするのを排除すればいいわけです。

すると面白いことがわかります。
タロウとかジロウ トオル、なんてのはかなり古くからある倭人の名前です。
ギリシャ読みでは、タウロス ドロス トールになります。それぞれ長男、次男、三男の意味です。まあ、古くはということですが…。

ラテン語やギリシャ語にもヤマト言葉は共通する音がたくさん出ます。
何がいいたいかと言うと、

古代ローマ、さらにそのまえのミトラ信仰の場所でも王様がでません。その後の古代ローマでは共和制です。古代イスラエルも王が誕生するときに、王様なんて馬鹿じゃないの?って言われています。

倭国も同じ流れです。
王様がいないのに、中国が金印を出すところがポイントです。
邪馬台国の女王はいませんが、中国にはミコという習慣も言葉もありません、だから女王というしかないのです。これは女王ではありません。
倭国では王様という制度を理解して、共和制のような制度が徹底されていたことを示します。魏志倭人伝においても、倭国が律法制であることが確認できます。

その後においても倭国は大陸からの侵略をすべて退けています。もともと文明レベルが違うのです。これは武装から視覚的に確認することができる現実です。

でも漢語の人が裏切って、中国化してしまったために現状のようになっています。
この時の倭国は、現在の日本がいきなり北朝鮮になったようなものです。倭国の構成要因の9割は縄文人ですから、これが中国の人に懐柔されました。これで大国主命らが怒ってボイコットした状態が今かと思います。それ以降、大国主命系民族は歴史の表舞台に出てきません。

現在日本人は混血ですが、男系で由来を探すことができます。1/3は中国由来だと言えます。そして出てくる文献が全部漢語です。なのになぜか倭国にきた中国の人は全員ヤマト言葉をしゃべります。
言語は、文明力の強いほうが残ります。

それでも中国から来た人は、漢語のほうが偉いんだと主張します。それですべての語源が漢語にされる傾向がでます。
ヤマト言葉が広く解き明かされれば、漢語の嘘は全部明らかになりますね。

王に限らずいろんな言葉が、漢語にマウントされて変なことになっています。

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