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鎌倉幕府二代将軍源頼家について質問があります。

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ID非公開さん

2019/10/1216:22:46

鎌倉幕府二代将軍源頼家について質問があります。

源頼家は、頼朝の跡を継いだあと北条氏によって寺に幽閉されて、暗殺されたと聞きました。
源頼家は、御家人から評判が悪いとサイトで、見ました。
源頼家は、どんな理由で幽閉され暗殺されたのですか?

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sto********さん

2019/10/1301:14:20

>源頼家は、御家人から評判が悪いとサイトで、見ました。

正確に云えば五百町以上の田畠地を有した有力御家人の所領を削り、零細な御家人に与えようとした政策が、有力御家人の反発を招いた。

頼朝、実朝などの将軍は、朝廷との融和策をとっており、二代将軍・頼家も同じく朝廷との融和を図ることを念頭に入れた政策を採用していたのではないでしょうか。
当時、西国には非御家人と呼ばれる武士が荘官として荘園の管理を委託されており、御家人と競合していたので朝廷との融和策をとれば御家人の生存権そのものを脅かす可能性がありました。

ちなみに頼家への将軍宣下は、鎌倉政権が望んだものではなく将軍を通じて東国政権と融和をはかり、少しでも地頭職の停止を認めさせたい朝廷より出されたものです。

中世史を専攻する歴史家の川合康氏は、十三人の合議制について開催された記録がないことから、存在そのものに否定的な見方をしており、将軍・頼家を統制下におきたい有力御家人と、有力御家人の力を削ぎたい頼家との対立が、頼家排除に繋がったと指摘されています。

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古谷護。さん

2019/10/1220:43:18

彼は、取り巻きの若造と乳母夫婦の比企一族ばかり大事にして親の進める結婚もせず乳母の娘はじめ片っ端から女性に手をつけて、果ては家来安達の妻を拉致強姦して自殺させました。

病気で死にそうになると乳母夫婦は娘と頼家の息子をたてに将軍家乗っ取りを計画、北条以下の御家人と対立し、頼家の息子もろとも全員抹殺されます。

頼家が生母政子の看病で復帰したときは厄介者となり、幽閉に追い込まれたのです。

素行の悪さで反感をかったのが原因です。

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jun********さん

2019/10/1219:20:19

頼家が将軍に就任しても、経験が浅いので、
御家人達の争いを上手に決裁できませんでした。
そこで、幕府の主要メンバーの話し合いで、
十三人の合議制という、集団指導体制が採用されました。
頼家としては、「オマエは未熟だから、オレたちが話し合いで、
政治を動かすので、黙ってハンコだけ押してろ」、
と言われたようなもので、面白いはずがありません。

そこで、自分の側近と舅である比企能員を味方につけて、
政権を奪い返そうと動き始めます。
しかし、今度は頼家自身が急病で危篤状態に陥り、
もはや回復の見込みは無いと思われたため、
北条氏を中心とする合議制のメンバーは、
頼家の弟の実朝を三代将軍に擁立することを決め、
頼家に味方していた反対派を粛清してしまいます。

ところが、奇跡的に頼家の病状は回復し、
事の顛末を知る事となりますが、時すでに遅しで、
自分に味方する者は、誰もいなくなってしまいました。
合議制メンバーにとっても、頼家はもはや亡霊のようなもので、
鎌倉にいて貰っては困るから、とりあえず、修善寺に幽閉を、
する事になったのです。

天網糸さん

2019/10/1217:44:41

御家人たちの評判が悪かったのは事実だろう。
生まれながらに次期将軍を約束されたお坊ちゃまだ。武家の棟梁としての鍛錬・勉強は十分に積み、父頼朝の急死で若くして将軍を継いだわけだが、おそらく誰を頼るでもなく自分の才覚でやれると自信満々だったのだろう。

明らかに経験不足で自分の本当の立ち位置を知らなかったのだろう。生まれながらに屈強な坂東武者達に頭を下げられ平伏され続けていれば、勘違いもやむを得ない。

父頼朝は若い頃に伊豆に流刑になった苦労人だ。
平将門以来、朝廷からの独立を悲願としてきた坂東武者たちだ。地盤も兵もない無力の頼朝を担いだのは、頼朝の天皇家を祖先とする血筋だけが理由だったことは知っており、頼朝が朝廷に接近しようとするたびに、坂東武者たちが暗に陽に妨害していた圧力も感じていたはずだ。

父が急死したために、頼家は「将軍」のポジションの危うさを知らないまま幕府のトップに就任してしまった。
将軍の大きな役目は御家人同士の揉め事をうまく治めることだが、苦労知らずの将軍が下す裁決は周囲から見て納得しがたいものが多かったのだろう。
ちなみに父頼朝はその辺のさじ加減は絶妙だったらしい。

それでも頼家がお飾りの「将軍」としての役割を全うしてくれれば天寿を全うできたかもしれないが、「生まれながらの将軍」と思っていた自尊心の強すぎる頼家にはそれが出来ずに色々やらかしてしまった。

であれば、坂東武者にとって、頼家は邪魔な存在でしかない。殺されたのはそういうことだろう。

dok********さん

2019/10/1216:46:53

2代将軍源頼家の妻は頼朝死後に北条と権力争いをした比企一族の娘です。
頼家は比企一族の館で生まれ、比企家に育てられたので母の北条政子も愛情はなかったと思います。
比企一族は頼家を後ろ盾にして北条と争い、頼家も比企側についたので北条としては頼家は邪魔な存在です。
頼家は御家人を無視した独断行動が、頼朝時代の御家人から反発を受けていました。

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