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上洛前の織田信長と松永久秀の同盟はどちらが持ち掛けたのですか?

awa********さん

2019/11/216:03:55

上洛前の織田信長と松永久秀の同盟はどちらが持ち掛けたのですか?

■信長公記では信長が上洛すると、松永久秀と三好義継は恭順の意を示し、摂津の芥川城に赴いて降伏したと書いています。
■しかし、柳生文書などでは、信長と久秀の同盟関係が推測できるそうです。
■当時、三好家中は分裂していました。
・松永久秀は三好家から排斥されて孤立していました。
・三好三人衆は足利義栄を担いで14代将軍にしました。
・その後、宗家の三好義継は三人衆と決別、久秀と組んで三人衆に対抗しました。

■こんな回答はいりません
*俺は知らん、自分で調べろ!
*他人のHPの貼り付けで、これを読め!それは、 たぶん恐ろしく長い文書だろう。
*○○先生の本を読んだらどうですか?

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edo********さん

2019/11/216:32:48

同盟は対等もしくは対等に近い関係において成り立つものだと思います。恭順した者と対等の立場で同盟を申し入れることは無いでしょう。松永が降伏・恭順したので信用なき受け入れではないかと思います。信長にしてみれば松松永の裏切りは想定内だったと考えます。

  • 質問者

    awa********さん

    2019/11/217:04:17

    もちろん同盟前の信長と久秀は対等でした。
    しかし信長公記にあるように、松永久秀は信長の上洛に慌てて降伏したのですか。柳生文書などによると、信長上洛のお膳立てをしたのは、松永久秀と三好義継ではありませんか。
    (説明します)
    三好長慶の死後、13代将軍・義輝は三好3人衆と松永久通(久秀の嫡男)に攻められ亡くなりました。
     その後に3人衆と松永久秀は対立しています。3人衆は阿波から足利義栄を担ぎ出して「左馬頭」という次期将軍候補にしました。
     調べると、その半年前に足利義昭も「左馬頭」に任ぜられています。義栄と義昭の将軍レースが信長の上洛前にありました。
     結局は三好3人衆が担いだ足利義栄が14代将軍に収まりました。信長上洛前に久秀・義昭・信長の3者の同盟関係があったのではないですか?

    久秀は信長の上洛に見て慌てて降伏したのではないと考えます。

    ■回答ありがとうございました。

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