西洋の馬車は、かなり楽だったのですか。 馬そのものに乗るよりも、疲れなかったのですか。 馬を操る人はしんどいでしょうけれど、後ろの馬車に乗っている人は楽だったのですか。

西洋の馬車は、かなり楽だったのですか。 馬そのものに乗るよりも、疲れなかったのですか。 馬を操る人はしんどいでしょうけれど、後ろの馬車に乗っている人は楽だったのですか。 衝撃はかなり緩和されていたのですか。 昔はゴム(タイヤ)がなかったので、木の車輪に革みたいなのを貼り付けていたのでしょうか。 鉄道までは、都市間の移動は馬車だったのですね。 ナポレオンも馬車で移動したのでしょうか。

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板ばねを馬車のサスペンションに使うようになったのが17世紀後半ぐらいからで、それ以前の馬車は恐ろしく乗り心地が悪かった事は容易に想像できますが、そういう「乗り心地」以前に、馬車で移動する為には道が整備されていなければなりません。 古代ローマは、そういった社会インフラに相当な労力を掛けましたが、中世に入るとそれもなくなりました。だから、馬を養える様な階級は馬に乗り、そうでなければ歩いて移動する、それが基本でした。 例えば、↓は、日本橋学館大学紀要第2巻(2003年3月)所収の『馬車と宮殿 一 17世紀の ピッティ宮諸計画案における馬車の影響』(金山弘昌)へのリンクですが... https://www.jstage.jst.go.jp/article/nihonbashi/2/0/2_KJ00000745558/_pdf/-char/ja この論文のP41から引用すると… ~~ 優れた道路網を擁したローマの衰退後,中世の西欧における馬車 carroの利用は限定的であった。 車軸の上に直接車体を載せた中世の馬車の乗り心地は悪く,その用途は純粋な儀礼用か、輸送手段としての荷馬車に限られていた。中世の上流階級は,騎士制度を背景にして,日常と儀礼の両面においてむしろ騎馬をおもな移動手段としていた。 馬車が上流階級の移動手段として評価されるようになるのは,ようやく16世紀以降で ある。近代的な馬車は,おそらく15世紀のハンガリーで誕生したとされる。それは車体を車軸と分離して懸架装置で支え,乗り心地を改善した軽量の四輪馬車であった。 この新しい馬車がやがて他の西欧各国に導入されたのである。伊語ではcocchio(ハンガリーの地名Kocsにちなむ)あるいはcarrozzaと呼ばれる,この種の 馬車がイタリアに導入されたのは1509年以前とされる)。日記作者Lapiniの証言によれば,フィレンッェ最初の馬車の登場は1534年のことである)。当初はおもに婦人の乗り物であったが,やがて16世紀末以降,王侯貴族や高位聖職者などの乗り物として急速に普及し始める 。例えば最初に導入されたフェッラーラでは,すでに1543年に60台を数え,ローマでは1594年の時点でもはや 883台 もの馬車が記録されている)。17世紀,馬車はさらに改良され普及度も増す。 例えばフィレンッェでの状況は,同時代のRinucciniの記述によると次のようであっ た。17世紀初頭の同地では馬車はまだ一般化しておらず,いまだ所有していない貴族 も多かった。それまでの貴族の移動手段は,男女ともに,騎馬かロバ,あるいは徒歩で あった。しかし馬車は徐々に普及し, やがて各自が馬車を持つ までになり,騎馬は廃れる 。馬車自体も改良され,とりわけバネの導入で快適さが増す。 ~~ …という様に、上流階級にとってですら「乗用の馬車」は『近世』のものでした。更に、都市間交通に馬車が使える為には、馬車が走行可能な程度に小石などで舗装された道路で主要都市がつながっている必要がありました。「駅馬車」(英語ではStagecoach)と呼ばれる相乗り馬車の都市間ネットワークが整備されるのは18世紀に入ってから、19世紀半ばからはそれが急速に鉄道に置き換わってきましたから、『鉄道の《前》は、都市間の移動は馬車だった』とは言えますが、実際には『百数十年《だけ》馬車の時代があった』と言った方が正しいでしょうね… ナポレオンは偶々その時代に当て嵌まりますが..

ThanksImg質問者からのお礼コメント

ありがとうございます。

お礼日時:2019/12/12 20:59

その他の回答(3件)

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乗り心地はすごく悪かったそうです。 道は悪い、鉄の輪、クッションなし モーツアルトは馬車でヨーロッパ中を移動しましたが、その苦痛ぶりは並大抵のものではなかったそうです。

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馬車はユーラシア文明圏でのみ登場しました。他の地区では馬は全滅していたり、山がちだったりでしたが、決定的なのは車輪が無かったことです。車輪はユーラシア中央で発明されて広まりました。 最初期の馬車は戦闘用車両で、馬の後ろに車輪付きのクルマを括りつけていました。しかしスポークもなく、サスペンションもないので、乗りこなすのは非常に高い訓練を積んだ人のみでした。 しかしすぐにスポークが発明され、車輪が軽量化されて高速回転できるようになったのです。また、車輪の外部を鉄など金属で加工することで、木製の車輪でも本体にダメージが減り、長持ちするようになりました。 必ず2輪でした。というのも4輪だと旋回ができないからです。ウマに最も慣れ親しんだ遊牧民であれば、裸馬にも乗ることができましたが、平地の民族はそんな芸当はできませんでした。裸馬の難易度としてはバイクを60kmで走行させ、その上に2本足で立ってバランスを取るようなレベルです。 さて鐙が発明されると、軍事的な目的の馬車(戦車)は廃れました。武士もウマを使用し、騎士も戦車ではなく直接ウマに乗れましたし、中国の帝国でも戦車が利用されなくなりウマに直接またがるようになりました。 と言っても鐙があってもウマは訓練した軍人しか乗るのは難しいくらいで、鞍があっても最大で1人~2人までしか乗れません。 そこで大人数を載せることができる、あるいは女性でも乗れる馬車が登場しました。ズボン(騎乗服)は男用で、軍事的なものでしたので、女性は着用ができなかったのです。 馬車自体は古代ローマ以前からありました。ローマでも陸路の物流は馬車で、ローマ街道は馬車がすれ違える二車線道路でした。ウマだけでは荷物が限られますが、馬車にすることで大量の荷物を運べます。ローマ時代の場合、馬車はほとんどが二輪で、荷物用でした。 ところがヨーロッパ中世後期になると人用の馬車も増えました。コーチという都市間の郵便馬車が登場します。定期便もありました。人もモノも通信も運ぶ広域移動方法です。 この時、馬車は4輪で、ウマを複数にすればより大きなものを運べるようになり、本格的な屋根も付くものも登場しました。なぜ4輪に出来たかと言うと、前のタイヤだけ左右に動けば、後ろを動かさなくても曲がるということが発明されたからです。当たり前のようで、実は偉大な発明でした。この発明自体は馬車が流行る前からありました。 そのほか、木を組み合わせてバネの効果を産み、いわゆるサスペンションも開発されました。クッションになることで、舗装されていない当時の道路でもある程度、衝撃を緩和することができたのです。 その後、あまり仕組み上の進化はありませんでした。 ウマに直接乗ると、太ももが筋肉痛だし、ずっと乗ってられません。体験してみましょう。バイクのようにはいきません。当然ですが横になれませんね。寝るのも難しいです。馬車はそれができます。しかし常に揺れて環境はよくないので、寝るのも難しそうですが。 19世紀にはロンドンでキャブ(タクシー)が流行りました。つまり辻馬車というタクシーのような馬車です。道路もアスファルトで舗装されていましたが、この馬車でもタイヤはゴムで覆っていません。仕組みは中世後期と変わりません。 タイヤをゴムで覆ったのはつい最近のことです。まず自動車の発明の前後でようやくです。本体を衝撃から守るためというより、騒音を防ぐためでもありました。 ところがゴムを覆っただけではゴムは風船のようで強度がなく、空気を入れてやらないと重すぎてクルマが動きません。でも空気を入れるとゴムはすぐ破裂します。そこでカーボンを混合して強度を増す発明があり、タイヤをつけたクルマが普通になりました。 なお自動車タイヤが黒いのは、この合成のせいです。強度を付けるため、どうしても黒いカーボンを混ぜる必要があります。

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そりゃしんどいよ 70年代は日本も舗装道路が少なくて 土の道路だもの がったんがったん 穴ぼこでガタガタ揺れたもんだよ 疲れるぜ、あれ ゴムタイヤですら相当疲れる