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ドイツが独ソ不可侵条約を破ってソ連に侵攻(レニングラード、スタリーングラート)...

djv********さん

2020/1/817:41:39

ドイツが独ソ不可侵条約を破ってソ連に侵攻(レニングラード、スタリーングラート)したとき、日本も西からソ連に攻め込めばソ連を落とせたのではないでしょうか?ち

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dom********さん

2020/1/817:55:05

多分西からじゃなく東からの間違いだとして答えさせていただきます。

モスクワ防衛戦に極東方面軍の精鋭が割かれたという事実から、極東でこの部隊を釘づけに出来ればモスクワ戦でドイツを勝利に導けるかもしれないという意見も見られますが、極東から割かれた部隊はモスクワ防衛戦において戦況を左右する立場ではありませんでしたし、ロシア方面から同規模の部隊が代わりに極東に送られているので仮にこの精鋭部隊を極東に釘付けにしていても大勢に変化はなかったでしょう。

また日本軍には極東やシベリアを踏破してウラルにまで攻め込む兵站能力はありません。
極端な話、ソ連がアジア方面を空にしてシベリア鉄道を爆破してしまったら日本軍は極東を占領する以上ソ連に対して何もできません。
史実ではソ連には100万の極東方面軍がいましたので、極東の占領すらかなり難しいですね。
ただしウラジオストクの占領には可能性があります。
レンドリースの過半がウラジオストクを通して送られていたことから、ここを占領することでソ連を苦しめることができた可能性はあります。
しかしその分他のイランルートやコラ半島ルートでのレンドリースの割合が増えるだけかもしれません。
そもそもレンドリースが効力を発揮したのが1943年のスターリングラード戦後からなので、レンドリースが減ろうがドイツの勝利はなかったと思われます。

  • 質問者

    djv********さん

    2020/1/821:24:23

    すみません正しくは「西に向かってor東から」ですね失礼しました。

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dor********さん

2020/1/819:22:00

それをさせないために、ゾルゲなどがスパイ活動して
南方に行くように仕向けた

mam********さん

2020/1/818:22:48

実は、スターリンは ドイツが独ソ不可侵条約を破ってソ連領(旧ポーランドのソ連側)に侵入した時、モスクワ郊外に有る別荘へ脱兎の如く逃げたそう。

側近の説得を受けて、戻ってきたそうです。説得に1週間近くかかった。
※後に あの時始末しておけば戦後のソ連はもっと発展出来たのに・・・と当時の側近は悔やんでたそう。

もし、同時に大日本帝国陸軍最強の関東軍をシベリアに展開したら、スターリンは人格崩壊して失脚したでしょう。

その場合、ソ連は十分な対応力を持てなかったのは間違いありません。なぜならソ連は、親スターリンのフランクリン・ルーズベルト大統領だったから 多くの軍事援助が受けられたのですから。

スターリンが政治的に失脚したら、いくら共産主義に近いルーズベルト大統領でもソ連への軍事援助はためらったでしょう。

そもそも、当時世界最強の陸軍部隊ですからね 関東軍は。ノモンハン事件でもマイナー部隊だけで20万人のソ連軍を血祭りにしてますから。
ソ連がアメリカの要請を先延ばしして対日戦闘開始が8/9になったのもスターリンにノモンハンの恐怖がよみがえってたからよ。

red********さん

2020/1/818:19:10

まったくもって無理だったのでやめました。
計画はしていたし、準備もやっていたんですよ。
関特演といって、演習の名目ではあったものの、満州に85万の兵力を集め、ソ連に侵攻する予定でした。

85万の兵力を動員しての侵攻作戦というのは、当時の日本陸軍にとってはまさに未曾有の規模で、関東軍に加えて内地師団や朝鮮軍、対中戦からの引き抜きなどで兵力を確保し、輸送船100万トン、鉄道の全輸送力を駆使するという途方もないものでした。

でも、ソ連極東方面軍の兵力は歩兵86万、戦車1700、航空機2800、総人員100万と見積もられていたんです。歩兵はともかく戦車と航空戦力の劣勢は明らかで、おまけに冬になれば作戦は絶望的になりますから、短期間でソ連極東方面軍を撃破しなければならない条件付き(予定では8月10日攻撃開始10月半ば完了)。

これでは話にならないのは誰の目にも明らかですし、これ以上の戦力は日本を逆さにして振っても出てきません。なのでソ連の戦力がドイツに振り分けられ、歩兵で半分、戦車と航空機が三分の一に減ることを条件に対ソ侵攻戦を発動することとなりました。

しかしソ連は日本を信用していなかったため戦力の移動は限定的でした。おまけに対中戦から戦力を引き抜かれては状況が維持できないと現場から批判があり戦力確保も困難に、対米英関係もきな臭くなり・・・対ソ侵攻は延期となりました(事実上は中止に等しい)。


詳細は論文「関特演の実像」を検索して読んでみることをおすすめします。

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