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宗教とは、なんでしょうか? よく 「宗」は「根本」、「教」は「教え」と言わ...

ID非公開さん

2020/1/1213:18:11

宗教とは、なんでしょうか?

よく
「宗」は「根本」、「教」は「教え」と言われますが。

宗教とは「根本の教え」でしょうか?

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ベストアンサーに選ばれた回答

2020/1/1215:14:05

宗は根本であり、この世界の大元となることを教えようとしているのが宗教でしょう。

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cnntf0qrcさん

2020/1/1222:44:49

宗教は単なる集合概念です。
ある宗教にとって本質的なことは、
他の宗教にとっては不必要なことだったりします。
それぞれの宗教の派が、
自分たちは正しく他は間違っている、と主張したりしますが、
・相互に主張が否定されている。
・それぞれの主張が信仰(思い込み)によるために、
⋯客観的な判断基準がない。
のです。

2020/1/1222:27:12

<-- ここから
幸福な人間は、自分が幸福をえているという事実だけではなかなか満足しないものである。
それ以上に彼は、自分が幸福であることの正当性をも要求するようになる。
自分はその幸福に「値する」、なによりも、他人と比較して自分こそが
その幸福に値する人間だとの確信がえたくなるのである。
したがってまた、彼は、自分より幸福でない者が、自分と同じだけの幸福をもっていないのは、
やはりその人にふさわしい状態にあるにすぎない、そう考えることができれば、と願うようになる。

~中略~

この幸福の正当化ということこそ、
一切の支配者・有産者・勝利者・健康な人間、
つまり幸福な人びとの外的ならびに内的な利害心のために宗教が果たさなければ
ならなかった正当化という仕事のもっとも一般的な定式であり、
これが幸福の神議論とよばれるものである。
<-- ここまで (「世界宗教の経済倫理 序論」マックス・ヴェーバー)

もちろん、不幸だと自覚する人においても、なぜ自分が不幸なのかという問いへの回答を用意できるわけで、つまり社会の安定装置といえるでしょう。
貧乏なのは能力がないからだ、っていうのも資本主義社会の”神意”だということもできるわけです。

ただ、それでいいの?って思いはありますね。
それは私だけじゃないはずです。
ヴェーバーが言うような「言い訳」を考え出したのは、
つまり問題意識があることを示してもいて、
経済や社会制度が進化するにつれ、いずれは解決されるんじゃないかという希望はもってます。

宗教というのは最近の言葉、つまり西洋のreligionの訳語としてできた言葉のようです。

昔のインドで宗教という意味の言葉は「ダンマヴィナヤ」と言い、ダンマは教え、ヴィナヤは律、規律という意味です。

教えと規則があるものが宗教で、「このようにしなさい」という手本と、「こうしてはいけません」という戒や律が揃っています。

またブッダの仏教では、教えと、教えの実践をすることと、実践した結果を得ること、この三つが揃ったものを仏教と言い、どれが欠けても仏教、つまり宗教とは呼べないそうです。教えを実践して、教祖が言う目的である状態を体現することが宗教です。

religionという言葉は神様など神聖な物との絆という意味で、つまり信仰であり、東洋の意味の宗教土地がいます。

zvs********さん

2020/1/1215:56:50

宗教は、努力の賜物として如来から授かる物ですよ

信じるのは、その後の事

oto********さん

2020/1/1214:24:01

「宗」のウカンムリは、家のことですので、その家が示すもの
つまり、先祖代々の信仰のことです。

「宗」の教えが宗教です。

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