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天下三分の刑について質問です。

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ID非公開さん

2020/1/1304:47:26

天下三分の刑について質問です。

荊州と益州を占領して天下を三分して、お互い睨み合って天下を均衡させて平和を保とうというものですが、劉璋や劉表はそういった考えを持ってなかったのですか?劉備がするより劉璋や劉表がした方が簡単だったと思うのですが。元々劉家の領土ですし。

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sna********さん

2020/1/1306:39:40

劉表は袁紹と同盟関係にあるので当然曹操とは敵対しており、孫呉とも長年の敵対関係ですから西に兵を向ける余裕はありますせん

孫権は魯粛や甘寧が荊州益州を抑えて天下を二分すべしとの提言を行っており、積極的に荊州を攻めていますがうまくいきませんでした

地勢的には劉璋がもっとも有利だったのかも知れませんが、父の劉焉からして中原の騒乱から離れて独立国を作る目的で益州入りしてますから領土の拡大より自領を守る事に比重を置いていおり、領土の拡大と言う野心は極め低いです

三者より圧倒的に不利な環境にある劉備が何故天下三分に成功したかと言えば、劉備にはそれ以外生き残る道が無かったので積極的に行動を起こすしかなく、奇跡的な程時勢が劉備に味方したからでしょう

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    質問者

    ID非公開さん

    2020/1/1310:06:51

    劉備は背水の陣の状態だったから、皆が必死になっていたから実現できたということですか?

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漢晋春秋さん

編集あり2020/1/1520:44:58

そもそも「天下三分の計(刑ではなく。処刑してどうする)」への理解の時点で間違っています。これは簡単には滅ぼせないほど強固な勢力を築き上げて膠着状態を作り上げ、その上でさらに力を蓄えてパワーバランスが崩れる、あるいは魏(曹操陣営)に何か変事があった時を逃さず一気に攻勢をかけられるようにすべし、という計略であって、あくまでも最終的な統一を見据えた長期の計略です。
決して平和を保とうなどという消極的な発想ではなく、そもそも当時の常識として天下が分かれたまま平和になる(できる)という概念がありません。

で、先行回答にも詳しいですが、正史『三國志』を丹念に読んでいけば劉表は東は孫呉、西は劉璋、さらに南の交州とも交戦しており、北へは振り向ける余力がないので袁紹と同盟しつつ手を出さず放置していただけです。
劉表は物語(三国志演義)に見られるような好々爺ではなく、八俊の1人にも数えられて党錮の禁では逮捕状が出されるほどの切れ者です。荊州入りした時も現地の蒯越を味方に引き入れて在地豪族の有力者を酒宴に招いて皆殺しにしたほどの剛の者であり、戦争や勢力拡大にはかなり積極的なほう。北への志向がないのは単純に「物理的に不可能」だっただけでしかありません。
劉璋は父の劉焉が「益州に天子の気がある」と言われて益州赴任を希望し、赴任直後に蜀の桟道を落として交通を絶って引きこもった路線を踏襲しています。積極的に外に向かうつもりはありませんが、東の荊州、西や南の異民族、さらには劉璋の代になって背いた(劉焉の時代には従っていた)漢中の張魯や巴西の趙韙らとの戦いに明け暮れています。父の代には従っていた者たちから離反者が続出しており、正直外征どころの騒ぎではなく、張松や法正が最終的に劉備を引き込んだのもおそらくその延長線上にあります。
劉璋は益州人士に全く信任も人望もなく、おそらくそれは性格・能力・魅力の全てが欠落していたことを示唆しています。彼が「平和な時代には名君」だなどとは間違っても言えません。むしろ平和な時代にこそ余計な反乱を招くでしょうよ。

で、そのような劉表・劉璋と比べると、劉備のアドバンテージのいかに多いことか。
劉備には失うものがなく、やる気は充分あって、無いのは根拠地だけです。根拠地と勢力を持っていても上手く使えない者(劉璋)や他のことに回している者(劉表)に比べれば、劉備が鼎の一角を担ったのはむしろ当然と言えましょう。物量や勢力の有無よりも、方向性の明確さがアドバンテージになるわけです。

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cwa********さん

2020/1/1306:25:45

もともと劉家とか、何か勘違いが見えますが……。

劉璋→配下の趙イに反乱を起こされ、漢中の張魯に離反され、主力の東州兵はクソ強いが益州人と摩擦ばかり起こしてるので、外征どころではない。
劉表→揚州に孫策、孫権と自分を仇敵と狙う敵対政権があり、荊州で賄えて他州を奪う必要性があるほど逼迫してないし、劉表の荊州スタートが50歳と既に高齢で劉表は文人。

この2人は性格的にも武断は向いてません。平和な時代なら名君ですが、戦乱では無能の烙印を押されます。

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