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日本初の国際放送とJ1AA検見川無線について

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ID非公開さん

2020/2/2010:00:03

日本初の国際放送とJ1AA検見川無線について

私は無線史について、勉強を始めたばかりの初心者です。よろしくお願い致します。

1930年10月27日に、ロンドン海軍軍縮条約締結記念交歓放送を行い、日本初の国際放送に成功したそうですが、その際に浜口首相は愛宕山のJOAK放送局から演説を行い、その電波が東京中央通信所を経由して、検見川無線送信所に送られ、検見川無線から電波が発射されて、米国サンフランシスコのポイントレース受信局で受信されたと勉強しました。

この国際放送で、検見川無線の初代所長の菊谷さんの自伝などでは、J1AAと検見川無線の名前が世界の隅々にまで響いたとの記載があるのですが、浜口首相は東京愛宕山JOAK放送局から演説をしているのに、どうして、J1AAと検見川無線の名前が世界の隅々に響いたと解釈できるのでしょうか?

ポイントレース受信局が受信した電波を最終的に国内から発射したのはJ1AA検見川無線であることは間違えないのですが、この国際放送の際、日本側からのコールサインは、「こちら、JOAK、東京ジャパン」ではなくて、「こちら、J1AA、検見川無線ジャパン」だったということなのでしょうか?

確かに、10月24、25日の試験通話の際は、検見川無線に設置されていた送話機からテスト放送していたようなのですが、前日の26日と本番の27日は東京愛宕山から放送していたとのことなので、疑問に感じました。

以上、よろしくお願いします!

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ベストアンサーに選ばれた回答

tei********さん

2020/2/2700:47:45

検見川無線のJ1AAの開設経緯に関しては https://sites.google.com/site/cb465mhz/amateur-radio/kemigawa-J1AA に譲りますが、当時の言葉で「国際放送」とは隣国の放送局と "協調・協力" し合いながら特別番組を放送するものを指し、1920年代後期より、国同士が陸線で密に結ばれている欧州大陸で盛んになりました。具体的にはA国からB国へ有線で送られた番組を、B国の放送局が(自国に)放送する方式です。A国が中継し、B国が放送するので「国際中継放送」と呼ばれることが多く、それを短く略したのが「国際放送」です。

またこの際にA-B国間で双方向の中継回線が用意され、互にマイクを交換できるもの「同時交換放送」と呼んで区別する場合もありました。ご質問の番組はまさしくこの「3か国同時交換放送」で、日本の濱口首相、米国のフーバー大統領、英国のマクドナルド首相が三国間軍縮条約成立を祝って順番にマイクを廻して挨拶する様子を、日本、米国、英国の代表中央局が、陸線で系列各局へ配信し、国内放送したものです(米国や英国でリスナーへ放送したのは各地元中波局であって、日本のJ1AAの短波中継波ではありません)。

さて濱口首相の声は愛宕山スタジオから、専用の陸線で(東京中央電話局を経て)検見川無線へ送られ、中継機J1AAに入力されました(質問文にある様に電波ではありません。検見川へは「有線送り」です!)。

それを西海岸ポイントレースで受けて、今回の放送イベントを企画をしたホスト局(ニューヨーク)のスタジオへ陸線で送られました。そして米国内の系列各局へ陸線で配信(そして中波で国内放送)するとともに、短波で英国へ送り、ロンドンBBCから地方BBC局へ配信されて、英国の各地域で中波により放送されています(米国や英国のリスナー達はJ1AAの短波中継を聞いたのではありません)。

また同時にロンドンから米国経由で日本への逆ルートも開設されており、岩槻受信所で受けた音声は陸線で愛宕山スタジオを通じ放送協会の各地方局へ配信され、日本各地で中波放送されました(日本のリスナーも米国からの短波中継を聞いたのではありません)。以上の中継回線ルートについては https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1907532/199 をご覧ください(J1AAの電波は一般人が受信することを目的としていません)。

愛宕山スタジオ(JOAK)からみれば、どのような経路でニューヨークやロンドンまで中継されているかは、自分たちの管轄外(逓信省の仕事)です。「影の立役者」たる "中継機J1AA" や "陸線" のことは番組の中でわざわざ紹介されることはなかったと想像します。

JOAKを短波でサイマル試験送信していたJ1AAが、米国の無線雑誌のBCLコーナー(短波ラジオ局表など)に掲載された初めたのは、Radio World(1931年3月28日号)やElectrical Experimenter(1931年5月号)からです。そこで「1930年10月の放送はもしやJ1AAが中継したのかも?」と感の良いBCLマニアが気付いたかもしれません。そして菊谷さんがこれを文学的表現で『J1AAと検見川無線の名が全世界に届いた』と記されたのではないでしょうか。

ちなみにA国の放送局が(B国の放送局の協力なしに)直接B国の頭上から放送電波を降らし、B国の人々に直接受信してもらう放送を、当時の日本では「海外放送」と呼び、日本放送協会が1935年6月より始めました。もしかして質問者様がイメージされている「国際放送」とは、この「海外放送」のことでしょうか?

でも日本放送協会の「海外放送」の送信は国際電話(株)名崎送信所の第四送信機(14.600MHz、コールサインJVH)で行われましたが、そのコールサインJVHは表面に出てきません。やはりあくまで「黒子」ですね。

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質問した人からのコメント

2020/2/27 08:57:29

詳しい解説、有難うございました!こんなに詳しい回答が頂けるとは想像しておらず、感謝感謝です!大変勉強になりました!

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