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三国史 の 蜀 の 劉備玄徳 が、家臣の 諸葛孔明 に、「跡継ぎの劉禅が補佐に値しな...

shn********さん

2020/2/1316:01:36

三国史 の 蜀 の 劉備玄徳 が、家臣の 諸葛孔明 に、「跡継ぎの劉禅が補佐に値しなかったら、君が帝位につけ。」と言った話ですが、二人きりの時ではなく、群臣の前で言ったのですか?
二人き

りの時なら、どちらかが喋らないと他に伝わらないし、孔明が喋ったなら疑われるだろうし。
群臣の前で言ったのなら、孔明も「決してそのような事は致しません。」と答えざるを得ないし、劉備は、皆の前で言質を取ったのでは?

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te9********さん

2020/2/1616:08:54

もちろん群臣の前でです。
個人的には劉備は諸葛亮の忠節を
疑ってなかったと思います。

あんなことを言った真意ですが
漢→魏の禅譲を意識して
言ったのだと思います。

わざわざ曹丕の十倍と言ってるんですから
諸葛亮は禅譲を受ける資格が
あるとあらかじめお膳立てしてるんです。

死の間際に皇位を譲る皇帝と
とそれを固辞して忠節を貫く臣下の関係は
どう考えても権力闘争の産物である
曹魏の禅譲劇より尊いです。

劉備諸葛亮の禅譲を前にすれば
曹魏の禅譲劇は虚飾の嘘つき大会にしか見えません。

歴史書の三国志の著者の陳寿は
曹魏の献帝の扱いを戦略的に優れている、とは評価してますが道徳的に偉いだなんて言ってません。(劉備と諸葛亮の関係は臣下の手本と絶賛してます)

陳寿の三国志では禅譲関連の記述は驚くほど少ないですが虚飾の政治劇にまともに取り組む方が馬鹿らしいと冷ややかに見てたのだと思います。

劉備がこのような後世の反応を期待して言ったのだとしたらその目論見は成功した、と言えるでしょう。

天網糸さん

2020/2/1318:00:57

病床にある皇帝が、わざわざ成都から白帝城に孔明を筆頭とする主な重臣を呼び寄せての遺詔です。もちろん劉備・孔明の二人きりと言うことはありません。

ただ、「言質をとった」という解釈はどうでしょうか。
孔明は他に類例がないくらい賞罰が明らかで公正であったように評された人物で、自分だけは例外にする俗人でもなかったと思われます。出師表が、そんな俗人に書かれた書だったのなら、誰も読んで泣きはしなかったでしょうし、後世の中国人があれほど大切にしてきた訳はないと思われます。

そして孔明の良い面・悪い面を含めた最大の理解者は、一時は寝食すら共にして語り合い「水を得た魚」の故事成語を産みだした劉備その人でしょう。
劉備ほど、孔明が王位を簒奪するような俗物・姦物ではないことを知っていた人物はいなかったはずです。しかし劉備も劉備で、魏を倒すことに自分の子孫が障害となるようならば、「劉禅を排除してでも、魏を倒して中原を制覇することを優先せよ」という意味の本音で孔明に後事を託したのだと思います。
曹魏を倒して中原さえ制覇すれば、劉禅を排除したとしても、山陽公となっていた献帝かその継承者を担ぎ出すことで漢を復興させることも可能だったでしょう。

kum********さん

2020/2/1316:37:07

群臣の(と言っても多数いる訳ではありませんが)前ですね。少なくとも当時尚書令だった李厳は諸葛亮と共に劉禅を補佐するように遺詔を受けています。

後に李厳が(恐らくは戯れでしょうが)諸葛亮に九錫を受けて、王になるように勧めたことがありますが、これはこの劉備の遺言があったから、と言うのも関係していると思います。

まあ実際は蜀は漢の国なのですから劉姓以外の人物が皇帝になろうとしたら、国の根幹が揺らぎ、崩壊してしまうのですけどね。劉備もそのことは分かっているから、言質を取ったと言うよりもそれぐらいの気構えで後を頼む、と言った感じの激励だったのだと思います。

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