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清朝には有名な宦官はいましたか? 明には有名な宦官がいたそうです。

berurusukoneさん

2009/1/1210:45:03

清朝には有名な宦官はいましたか?
明には有名な宦官がいたそうです。

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frogman03544さん

2009/1/1212:04:41

清朝末期、あの西太后に仕えた『李蓮英』が有名ですね。

西太后が,1874年(39才)に自分の生んだ同治帝を亡くしてから、
1908年(74才)に自分が死ぬまでの間、彼女の寵愛を受け、
宮廷内で大権力を振るっていた宦官(大太監)です。

十六歳で自ら浄身(去勢)を決意したとされます。
貧農出身の自分が一旗挙げるためにはこれしか方法がありませんでした。

李蓮英は、「西太后あっての李蓮英」を良く心得ており、
西太后の命令には絶対服従で、常に彼女の意を汲み、
率先して西太后の意に沿う行動をとりました。

同治帝(西太后の息子)が亡くなったあと、光緒帝(西太后の甥)を推薦したり、
西太后の離宮・頤和園増築のために、海軍の予算を削るよう要求したりすします。
光緒帝が幽閉され、珍姫との逢瀬を手助けしておきながら、
珍姫が懐妊しているのが西太后に知れると、
彼女の命令どおり珍姫を井戸に投げ込んでしまったりしました。
(浅田次郎さんの「珍姫の井戸」という小説があります。哀しい話です。)

西太后の死後、失脚し墓守りをしていた李蓮英は、
自らの死期を悟り、これまで大事に持っていた自分の男根を飲み干して、
西太后の墓の前で死んだとされます。(フィクションらしいですが・・。)

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no_105_105さん

2009/1/1413:49:36

№1は既出の李連英だと思いますが、他にも西太后に仕えた、安徳海がいます。
また小徳張は、その生い立ちや出世などから、『蒼穹の昴』の主人公・春児のモデルかな?とも思えます。

xiantaogeさん

2009/1/1400:34:58

すでに李蓮英が出ているので、繰り返しません。

清朝は、明に比べて宦官に権力を与えなかったので、女性である西太后のような権力者がでるまで、力のある宦官が出現しづらかったのでしょう。

それに比べて、明は政治を省みない皇帝が多かったこと、宦官のトップが皇帝の代わりに公文書にサインをする(サインがないと、公布や実行ができない)などっといった制度が定着する過程で、皇帝の側近である宦官が権力を握ったり、特務機関の責任者として宦官を使ったりしたので、悪い意味で歴史に名を残した宦官が多いようです。

2009/1/1211:06:15

有名な人物はいませんが、清王朝までは宦官がいたことは確かです。

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