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徒然草の中のある一節なのですが、最後の「心戒といった僧は、静かに膝をついて座...

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ID非公開さん

2020/5/2507:42:21

徒然草の中のある一節なのですが、最後の「心戒といった僧は、静かに膝をついて座ったことさえなく、いつもは(膝をついて)しゃがんでばかりいたということである。」という部分で、解説には、「彼はひざをつくわず

かな時間も惜しんで修行をした。」と書いてあったのですが、しゃがみながら行う仏道修行があったのでしょうか?

仏道修行,徒然草,一節,膝,心戒,修行,機動性

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編集あり2020/5/2513:04:43

その解説の仕方では、
質問者が「しゃがみながら行う仏道修行があった」のか、
という疑問をもつのも無理ないと思う。
「ひざをつくわずかな時間も惜しんで」と「修行をした」は、
直接つないではいけない。
いくら原稿の行数に制限があるとしても。


>いつもは(膝をついて)しゃがんでばかりいたということである。

違うでしょう。
「膝をつかず」しゃがんでばかりいた、のです。
青字でそう訳してあるじゃない。


心戒が「うづくまりて」いたのは、日常生活の機動性を高めるため。
その姿勢で仏道修行をしていたという意味ではない。

普段の日常生活において、ゆっくり膝をついて座るという時間すらも惜しんで、
いつでもすぐに立って用を足せるように、しゃがんで生活していた、
そうやって、日常生活に費やす時間を必要最低限におさえて、
それ以外の時間をできるだけ長く仏道修行に費やしていた、という意味。
すぐ立ち上がるためには、
膝をついて座るより、しゃがんだ姿勢からの方が、立ち上がりが早い。
今で言うと、忙しがりやのお母ちゃんが、バタバタと家事をしながら、
「あーもー、ゆっくり腰(お尻)落ち着けてお茶飲む暇もないわー」
という感じ。

  • 2020/5/2516:45:04

    >大体この場面で「修行」という言葉が出るのがおかしい。

    おかしくありません。
    出家者に関する叙述で、「「修行」という言葉が出る」のは、
    文脈上の必然です。
    僧名ももつ「聖(高徳の僧)」が、「仏道修行」をしないで何をするのか。


    >座ってしまうと、気がゆるんで、無常が迫っているのを忘れてしまい、急に死に襲われたとき、仏に頼ることをせず、凡人のような死に方をするだろうと恐れている

    こじつけですw

    「膝をついて座る」ことは、「気がゆる」んで「無常が迫っているのを忘れてしま」うことなの?
    座ると、急に死に襲われたとき、仏に頼ることをしなくなるの?
    座ると、「聖」が「凡人」になるの?
    じゃあ、毎日の勤行はどうやってしていたの?
    当然、座るでしょう。
    じゃあ、勤行をすると死ぬとき仏に頼ることをしなくなるの?

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kie********さん

2020/5/2516:07:35

大体この場面で「修行」という言葉が出るのがおかしい。その問題集の解説は大まかすぎる。文中に「人は、たゞ、無常の、身に迫りぬる事を心にひしとかけて、束の間も忘るまじきなり。」とあるが、この程度のことを修行と言っている。
だから心戒という人が、座ることさえせず、(座るべき所でも)しゃがんでいた、というのは、やはり座ってしまうと、気がゆるんで、無常が迫っているのを忘れてしまい、急に死に襲われたとき、仏に頼ることをせず、凡人のような死に方をするだろうと恐れているのです。だから、座るべき時でもしゃがんでいた、というのは、この場面では、一種の修行なのです。無常を観想しているわけです。しゃがむという修行のあり方があるのではなく、そういう風にしてまで、たえず無常を観想し続けたということです。

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