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2020/6/19 6:50

77回答

日航123便は、油圧が効かなかった?つまり舵が全く効かなかった?効いたのは、出力とエアブレーキという名の車輪を下ろす操作だけ?

日航123便は、油圧が効かなかった?つまり舵が全く効かなかった?効いたのは、出力とエアブレーキという名の車輪を下ろす操作だけ?

補足

垂直尾翼の破損と同時に、油圧も破損したのですか?

回答(7件)

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ボイスレコーダーに、ハイドロゼロ(油圧ゼロ)、 の言葉が残っていますね。 油圧系統全滅です。 できるのは足を出す、もしくは推力の調節だけですね。

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1985年8月12日に発生した日航123便墜落事故について、相模湾上空で、垂直尾翼が破壊される異常事態に見舞われた後は、左右のエンジン出力の差を利用しながら、飛行を継続したと考えられます。 日航機は、機体を安定させるために車輪を出し、山梨県大月市上空で右旋回をしながら高度を下げ、横田基地への緊急着陸体制に入っていましたが、機長が「これは、駄目かも分からんね。」と発言した辺りから、北西に進路を変更し、秩父山岳地帯に向かって行きます。これについて、機体を完全には制御出来ない以上、地上で二次災害を発生させる恐れがあるとして、やむを得ず断念したと思われます。 山腹への不時着でありながら、事故直後には、衝撃が緩和された後部座席を中心に多数の方が生存し、結果的に4名の方が救出されたのですから、最後まで諦めなかったクルーの姿勢は、高く評価されるべきであると考えます。

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123便事故では、事故機で使えた操作は「重力による車輪下げ(ただし上げられない)」「代替動力(電動)によるフラップ操作」程度だったと考えられています。 そしてそのどちらも実行されたことは、ボイスレコーダの記録でハッキリしています。 エアブレーキ(スポイラー)については航空機関士が提案はしていますが、実行されていません。いずれにしても動かなかったと考えられます。 車輪下げが実行されたのは18時40分22秒、大月での「αターン」の入り口に当たります。恐らく事故機が「αターン」の航跡を描いたのは、車輪下げと関連があると考えられます。同時に高度も約2万2千フィートから9千フィート程度まで降下しています。 フラップ操作が実行されたのは18時51分08秒頃、最初のフラップ角度は解りません。ですが55分01秒にフラップ角度を10度に変更すると、機体は急激に右に傾いて急降下…これが墜落のきっかけになります。 なお、123便を再現したシミュレータの件ですが、それを他社等ののパイロットに操縦させたのは事実です。ですがその中に「御巣鷹山までたどり着いた」パイロットはありません(そもそもの話として、事故機再現のシミュレータ操縦において「御巣鷹山」を目指す必要がありません。生還可能性を試すのですから空港を目指すはずです)。 またシミュレータで「緊急着水に成功した」パイロットなどいようはずがありません。なぜならフライトシミュレータでは緊急着水の成否までは再現出来ないので、成功も失敗もないのです。恐らく「緊急着水姿勢(水面に対する角度と速度)に持ち込んだ」という話を誤認したのでしょう。 緊急着水体制に持ち込めたのは、123便のような状況になった場合の操縦法を研究させたクルーと、「無事に帰れる」というパフォーマンスのためにかなりの練習をしたと見られるボーイング社のテストパイロットと言われています。

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そうです、ラダー全体とAPUがある尾部全部が吹っ飛んでいます、 この破損で油圧を完全に失い、左右のエンジン出力でコントロールしています、 つまり油圧を使わない電動モーターのフラップと緊急時に重力式でおりるランディングギアのみ動作したようです。 事故後の7名のシュミレーターで御巣鷹山までたどり着いたパイロットは1名、緊急着水に成功した人は2名だそうです。

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質問者

2020/6/19 13:54

じゃあ、2人の人なら着水で助かったかもしれない?

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尾翼が破損した時に全部の油圧系統が同時に破壊され、使えなくなりました。 できたのはエンジンの出力制御、電動で動くフラップ、ギア(主脚)は代替手段で下ろすことはできました。 エアブレーキ(スポイラー)を立てることはできなかったはずです。