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宮沢賢治ってとても裕福な家の生まれだったようですね。 今際の際の妹に食べさせ...

hoi********さん

2020/6/2920:08:28

宮沢賢治ってとても裕福な家の生まれだったようですね。
今際の際の妹に食べさせるため外に出てかけた茶碗にみぞれ雪をよそう、というようなことの書かれた詩を読み、てっきり貧しい人なのだと

誤解していました。

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カテゴリマスター

2020/6/2923:32:26

妹トシは結核の末期で今死にゆくところです。
当時は結核の治療法はなく感染力も強く、恐ろしい不治の病でした。家族から結核患者が出ると村八分になるなど、当たり前の時代だったのです。

それでも田舎では裕福であった宮沢家は、トシの療養のために専用の一軒家を用意し、仲のよかった賢治は献身的に看病しました。

欠け茶碗ですが、結核患者の食器などは触るのも忌避された時代ですから、欠けてもそのままです。ものを大事にした時代ですから少々の欠けは気にしません。あるいは、これは実際よりも貧しく見せたいという賢治の文飾かもしれません。

みぞれの食べ物ですが、高熱に浮かされた瀕死のトシには、ものを食べる力は残されていませんでした。冷たい水くらいしかうけつけなかったでしょう。そしてこの時代の真冬の花巻に、蛇口をひねれば水がほとばしり出るような水道があったでしょうか。あっても凍り付いていなかったでしょうか。なんといっても彼女自身「雨ゆじゅ」を望んだのですから。

それにしても、やはり予備知識なしに現代の若者にそこまで読み取れというのは無理難題でしょうね。

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カテゴリマスター

I&M.d.W.さん

2020/6/2923:03:18

当時はまだ電気冷蔵庫はありません
家庭用の製氷機器はなかった時代です
食用にみぞれ雪をよそうことから貧しいと考えるのは現代の感覚です

賢治の実家は花巻という田舎町の雑貨商、今でいう地方の中小規模の自営商人です
地域では比較的裕福な家庭ではありましたが、白樺派作家たちのような「とても裕福」な出自というほどではありません

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カテゴリマスター

poi********さん

2020/6/2920:42:39

当時は裕福な家に育たなければ文学の世界に触れるどころか読み書きもろくに学べなかったでしょう。

2020/6/2920:28:23

宮沢賢治は裕福な家に産まれた事に悩んでいました。
それ故、家督は継がず農学を学び教師となりました。
しかし、それでも満たされず、自ら農業に勤しみました。
そして、農業をするたけではなく、芸術にも力を入れていました。
当時の、貧農からすれば「金持ちボンボンの遊び」のように受け取られていたようですが・・・。
しかし、あの純粋さは素晴らしいと思います。

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