ここから本文です

私の空想ですが、 本当の宮本武蔵は、吉川英治の「宮本武蔵」と 司馬遼太郎の「真...

shn********さん

2020/7/1316:00:03

私の空想ですが、
本当の宮本武蔵は、吉川英治の「宮本武蔵」と 司馬遼太郎の「真説宮本武蔵」の間ぐらいでしょうか?

一生 女・酒を近付けない 修験者のようなところは 吉川英治の武蔵より

ストイックそうだし?(江戸で 遊女の雲井と浮名を流した武蔵は 偽者らしい?)、
弟子を大勢採っているところは、政治的野心とまではいかないものの 一流を開くという野心はあったみたいだし?

閲覧数:
29
回答数:
1

違反報告

ベストアンサーに選ばれた回答

2020/7/1411:40:27

あくまで個人的な意見です。

まず宮本武蔵は
「剣術」が全くできなかった武芸者です。

彼は身長が6尺(180cm)もあったそうです。
当時の日本人の男性の平均身長は
150cm代だったらしいので

その中では「化け物」級に大きな肉体を持っていた訳です。

そのデカイ体に
相手の「日本刀」より長い木刀を持てば

その時点で敵の刀が届かない位置から
武蔵は敵をボコボコに撲殺する事ができたはずです。

その場合、下手に振り回すと
自分が傷つくような得物は
かえって彼の体格を利用した戦法には向かなかったと考えられます。

また当時「鉄」は貴重品でしたから
「刀」は武器としては「高価」な部類の物でした。

一方、いわゆる「浪人(=無職人)」である武蔵には
高価な武装をする金銭的な余裕はなかったはずです。

そうした理由から
武蔵は「木刀術」の使い手であったと考えられます。

実際、記録される大半の対戦では
武蔵は「木刀」で勝っているとされます。
(巌流島のように・・・)

いわゆる「二刀流」というのは
晩年の武蔵が自身の武芸の秘伝を
記録した書物に

「身の回りにある物は何でも使って戦う」
「刀にこだわらない」という発想から

江戸時代に
「なら、武蔵はきっと
脇差も使って戦うだろう」
と考えて言われた事のようです。





小説などでは割愛されていますが
現実問題としては
武蔵の日常は
恐らくは「どうやって今日の食い物を手にするか?」
という戦いが中心だったと考えられます。

何にしろ彼は「浪人」「無職」ですからねぇ。

当時(江戸初期)には
武蔵のような「腕に覚えがある浪人」は
「武芸者」とよばれており

彼等は旅をしながら
各地の武芸大会などに参加して
その腕を世間に広める事で

「武芸好きのお金持ち」に
自分のパトロン・スポンサーになってもらう事で
その生計を安定させていたそうです。

武蔵も人生の大半は
そうした「武芸者」として
地方の「お金持ち」に
食わせてもらっていた時代があったはずです。



恵まれた体格を活かして
戦って名を上げれば
その地方の「武芸好き」が
宿泊費を立て替えてくれる事で
衣食住を安定させ

時々、武芸好きに
自分の武勇伝を語っては
酒やお祝儀を得ていた訳です。

やがて、その地に
めぼしい対戦者がいなくなると

次のパトロン・スポンサーが居る地方に
旅去って行く・・・という事を繰り返していたのが

本当の宮本武蔵だったでしょう。

  • 質問者

    shn********さん

    2020/7/1412:26:57

    ウ~ム・・・

    しかし、「真説宮本武蔵」によると、武蔵正宗 という名刀を持っていたり、「武蔵 一生(生涯?)福力あり」と書かれていたりするのは、後世の作り話でしょうか?

    武蔵の肖像画?には、大小2本の刀を持っていますが?

    二天一流や 鉄人流が 二刀流なのは、武蔵から伝わったからではないのですか?

  • その他の返信を表示

返信を取り消しますが
よろしいですか?

  • 取り消す
  • キャンセル

質問した人からのコメント

2020/7/19 22:52:21

詳しくありがとうございました。

宮本武蔵が 剣術使い ではなく、木刀使い かもしれなかったとは・・・!

あわせて知りたい

みんなで作る知恵袋 悩みや疑問、なんでも気軽にきいちゃおう!

Q&Aをキーワードで検索:

Yahoo! JAPANは、回答に記載された内容の信ぴょう性、正確性を保証しておりません。
お客様自身の責任と判断で、ご利用ください。
本文はここまでです このページの先頭へ

「追加する」ボタンを押してください。

閉じる

※知恵コレクションに追加された質問は選択されたID/ニックネームのMy知恵袋で確認できます。

不適切な投稿でないことを報告しました。

閉じる