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夏侯淵の渾名白地将軍について。 「夏侯淵は駆け引きを得意としておらず白地将軍...

jp(judq_mditf)さん

2020/7/815:24:26

夏侯淵の渾名白地将軍について。
「夏侯淵は駆け引きを得意としておらず白地将軍と呼ばれていた。」とありますが、涼州軍閥との戦いではほぼ失策なしで張郃らを指揮して壊滅させていて、于禁ら

が苦戦した昌豨に止めを刺したのも夏侯淵ですし(弱らせた所を叩いたとも言えますが)長年独立勢力を保ってきた宋建(実力は正直わかりませんが)を僅か1ヶ月で平定し、劉備との戦いでも徐晃や張郃を指揮して1年間一進一退で戦えています。最期の逆茂木の部分については擁護できない気もしますがここ以外の失策というのがあまり見当たらずどうして白地将軍等と言われてしまっているのかが謎です。また、白地将軍等と呼ばれている人物にあの曹操が征西将軍という方面軍司令官を任せるでしょうか、考えをお聞かせください。

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kum********さん

2020/7/819:47:54

夏侯淵は史書を見ていくとややせっかちな性格であることが伺えます。ただ、せっかちと言うのは全てに悪い方向に働くものではありません。

「典軍校尉夏侯淵、三日で500里六日で1000里」と言われていたように彼の持ち味は騎兵等を率いての奇襲急襲です。相手が予想もしないタイミングで攻め込むことで夏侯淵の持ち味を最大限に生かすことができる。関中方面で騎兵が最大限効果を発揮する地域では、夏侯淵はその実力をまんべんなく発揮できたのでしょう。

ただしそれが通用しなかった時は、どうなるか。

例えば馬超が韋康を破った時は馬超に待ち構えられたことで得意の急襲ができずに敗退しています。受けに回ったり急襲がうまくいかなかった時、ようは自分の得意領分に持ち込めなかった時、と言うのは誰しも案外脆さを見せるものです。

漢中は山岳が多く、騎兵等をあまり生かせそうにない地形で、その脆さを突かれた、と言う感じではないでしょうか。

もう一つは、白地将軍だからこそ徐晃、張コウ、そして参謀の郭淮が下についていたのかもしれません。

これは想像の範疇なので、無視していただいてもかまいませんが、徐晃は慎重な性格で負けた時のことを考慮して陣を構築する慎重な人物です。張コウも変化の法則を知り、よく陣営を統率し、戦争にあたっては状況・地理を考慮する、と言う人材です。

つまりせっかちな夏侯淵を抑え、知の部分を補っていたのが徐晃であり張コウであった、と言うことだと思うのです。定軍山の時はその二人が夏侯淵から離れており、また参謀の郭淮も病に伏して近くにいなかった。エアーポケットのように彼の知を補うべき人が側にいなかったことがあの最後に繋がったのではないかな、と思いますね。

ただ、例えばサッカーの監督でも戦術面は参謀に任せて、自らはモチベーターとしてチームの士気を鼓舞するタイプの監督、と言うのは存在します。夏侯淵は知将ではなかったかもしれませんが、部下の士気を上げるモチベータータイプの指揮官であっても不思議ではありません。そう言った可能性があると言うことで、私個人の彼に対する評価は以下のようになっています。

夏侯淵
軍事167 統率150 知謀062 政治095

軍事と統率が高いと言うのは司令官として非常に高い資質を持っていることになります。特に三国志前期は大軍を指揮する司令官タイプの人材は少ないので、統率の高い夏侯淵は貴重な人材となります。知謀が低いのは少し痛いですが、優秀な参謀である郭淮が付いていればその弱点も補われます。計算で郭淮がいれば夏侯淵率いる軍団の評価はざっくりと以下のような感じになります。

夏侯淵(軍団)
軍事167 統率150 知謀146 政治099

この数字だけ見ても強さがの実感がわかないと思いますので、三国志で総合力が一番の曹操を載せておきます。

曹操
軍事156 統率150 知謀172 政治167

優秀な参謀一人で曹操にも並べる、と言う人物もそうはいません。それぐらい優秀だったと自分は思っています。

  • 質問者

    jp(judq_mditf)さん

    2020/7/821:58:13

    ご回答ありがとうございます、曹操が居ない方面で参謀が入れば戦えると言うのはなるほどと思いました。涼州軍閥との戦いでの立ち回りから攻撃面だと思い切りと判断力で突破でき、徐晃張郃という優秀な副将が居たから後方支援に周り平定出来たと。ここで素直に後方支援に回ることが出来たり随所の判断力から地頭は悪くなさそうですが郭淮がダウンして張郃徐晃が居ないと逆茂木を治しに行って事故死というと言い過ぎな気もしますが世間からは白地将軍なんですね…。相手も悪かったとは思いますが黄忠が後将軍になってることからも優秀だったのは間違いなさそうですね!

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質問した人からのコメント

2020/7/23 17:48:57

とても面白い解答でどちらにしようかなやんだのですが暫く考えてこちらの回答にさせていただきます。皆さんお勉強になる回答ありがとうございました!!

ベストアンサー以外の回答

1〜1件/1件中

kou********さん

2020/7/1018:15:59

私も先のご回答にだいたい同意です。

イメージとしては、物語の張飛のようなタイプだったんかな、という感じ。

「白地将軍」なんてのは、言ってみれば部下の愚痴というか陰口みたいなモンでしょう。まあ、部下の将兵は直情径行型の夏侯淵に常々振り回されてたんじゃないでしょうかね。

当たって砕けろ路線の体育会系上司に「分かってねぇな~・・・」と愚痴る感じだったんじゃないでしょうか。
それでも、営業成績はいいからなかなか面と向かって文句は言いにくい的な。

曹操が連戦連勝の夏侯淵に「勇気も必要だが時には臆病になれ、知略も必要だ」と言ってるんですから、そういう危なっかしさはあったんでしょう。
引き際というか、我慢のしどころというか、そういう粘り強さには欠けた人だったんだろうと思います。

漢中攻防戦でも、1年以上粘ったと評価すべきか、劣勢を挽回できずにジリ貧に陥った挙句の戦死と見るべきかは評価の分かれるところじゃないかと思います。
まあ、正史のお約束で細かな戦況がわからないんで、五分五分の戦力だったのか、劉備軍が最初から戦力的に上回ってたのかでこの辺の評価も違ってくるでしょうけど。

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