ここから本文です

1970年ごろの日本で、仁侠映画やポルノ映画の制作が中心になったのでは何故ですか?

アバター

ID非公開さん

2020/7/1123:24:46

1970年ごろの日本で、仁侠映画やポルノ映画の制作が中心になったのでは何故ですか?

閲覧数:
41
回答数:
7

違反報告

回答

1〜5件/7件中

並び替え:回答日時の
新しい順
|古い順

不適切な内容が含まれている可能性があるため、非表示になっています。

投稿内容に関する注意

2020/7/1410:53:18

ボ、ボクは小学生でしゅが・・・

東映では多角化路線の失敗部門の整理から動画を癌病巣にみたてて大量解雇の労働争議問題があった。斜陽産業の劇場を東急から離脱させることと興行を確保していくことの異なる領域への対処を同時並行して執行する複眼構造をもった経営にとりかかった。スト破りに暴力団の威力が使用された。暴力団組織の映画介入だった。また映画スターを成長させる時間がなく即効性のエロに対象をしぼった。不良性感度とはある一群内部に存在する不良性人間の情緒性を拘束して覗くから世間に暴くことである。東映に残存した不良性が革命的に自主活動したのが実録路線とポルノだった。映像産業の収益構造が予算消化の広告収入であることに変化した以上、映画もスポンサーが制作意向を統括する。実録路線が異常なのは実在の刑事事件を裏社会の人間がリークしてその組織関係が戦後世代の群像と一致していたところだ。結果、安保闘争に敗北した世代に暴力団抗争劇が実体験として投影され大ヒットする。しかし、非合法団体からの実話の提供は犯罪組織との接近とおなじである。スポンサー以外の対抗組織の強迫に経営者の想定として暴力革命が暴力の秩序支配に排除されていく結果となるのである。Vシネマにいたるまで伝統となっている。テレビのスポンサー構造が新しい劇場の収益構造を提供してニッチとしての仁侠映画ポルノ映画が1970年代に生産された。

>>
Y N = S + P + D(Yakuza Ninkyoueiga=Star+Producer+Director)
これは東映やくざ任侠映画路線の方程式だが、これを具体的に書きあらわすと、「岡田茂のやくざ任侠路線」=「鶴高藤」+「俊藤浩滋」+「マキノ雅弘」となる。岡田茂をはじめとする経営陣はテレビに対抗したやくざ任侠映画製作路線を打ち出したが、それを確実に実現させたのは、他社にない厚みのあるスター陣、やくざの世界に精通したプロデューサー、そしてベテランの監督たちだったのである。
>>
東映のスター・システムは不動なものだった。286 本ほどの映画をプロデュースした俊藤浩滋は「東映はスター・システムでやってきたし、任侠映画の隆盛も人気スターのローテーションの組み合わせで成り立っていたと書いているとおり、東映は主役級スターの鶴田浩二、高倉健、藤純子、若山富三郎、菅原文太以外、北島三郎、村田英雄などの人気歌手や、本物のやくざである安藤昇を起用し、脇役陣には月形龍之介、片岡千恵蔵、田中邦衛、嵐寛寿郎、梅宮辰夫などが活躍していた。
また、東映は何人ものすぐれたプロデューサーに恵まれ、作品の企画で成功した。とくに岡田茂と俊藤浩滋の活躍はめざましかった。岡田茂は「いまの世情では純情度の高いものはダメで、俳優でも純情スターより不良性感度の強いものでなければ時代おくれだと判断し、東映「不良性感度 」映画の時代を切り開いた。だがまた、俊藤浩滋がいなければ、岡田茂の主張するやくざ任侠映画の路線化はできなかったに違いない。「俊藤さんというのは非常にアウトローな人なんです。アウトローというのは本当のやくざ組織の人なんですね…極道のもんやら詳しいわけよと、前東映プロデューサーの日下部五朗が語る。
>>
渡邊達人は任侠映画路線の理念を次のように要約している。
一、急速なテレビの進出により観客を失ってしまった映画、特に婦人層と子供層をテレビに失った映画はただ漠然と「御家族そろって東映映画」を狙っても役に立たない。いやむしろテレビに走らない成人層にはっきり焦点を当てて企画すべきである。安保改正反対で気勢を上げる反体制の学生層、労働者層、そして水商売の女性層などに的をしぼったやくざ路線は狭い層ではあるが、確実に把握できる客層ではないか。
二、観客にとって未知の世界を実証的にくりひろげて見せることにセールスポイントを置き、明治、大正、昭和の代に材をとって立ち回りの殺陣を使えるのはやくざの世界しかないではないか。東映時代劇の殺陣の魅力を新たに持続させるものとして「やくざ」路線が急速に脚光を浴びるのだ…。
つまり、任侠映画はテレビに奪われた観客層を取り戻すのではなく、テレビに吸い込まれない観客層をしっかりと掴み、映画館収入を確保していくことから出発したということである。言い換えれば、任侠映画は成人層、学生層、労働者層、水商売の女性層を確実に掴み、明確にテレビと映画の観客層を分けることができたのである。最終的な目的は映画館保護にあり、それこそが任侠映画路線の本質なのである。
また、任侠映画は時代劇の伝統を継承しながらもテレビには出来ない題材を狙った。やくざの世界を表現することによって、テレビの盲点を突いたのである。渡邊達人は次のように言っている。
>>
テレビに対抗して映画館でお客に見せる映画、お客をして映画館まで足を運ばさせる映画はテレビでは見られないもの、即ち「不良性感度」の映画でなければならない。「やくざ映画」がまずその一ジャンルである。そしてその外に探すとまず「好色もの」があるというわけである。
要するに、任侠映画は暴力とエロチックな場面をその見せ場としていた。どちらもテレビでは放送しにくく、映画館でしか味わえない刺激である。岡田茂も「私の持論は『映画は商品である』ということに尽きる…。倒産した会社、製作から撤退した会社が多い邦画界で生き残り、東映だけが製作を続けることができたのは、この信念が根底にあったからであると述べている。
>>
テレビと同じ「善良性感度」を求めた東宝はテレビと観客層を奪い合った結果、その製作を中止しなければならなかった。同じような方針に固執した松竹も大きな成果を上がることはできなかった。その正反対に、東映は「不良性感度」映画で観客の足を映画館へ運ばせ、産業的な成功を収めた。日活と大映は東映に類似した製作方針をとったが、路線化に失敗した。
東映の歴史はまさしくテレビ対応の歴史であった。1962 年まではテレビに提携した映画づくりによって時代劇映画の黄金期を迎え、1963 年からはテレビに対抗した任侠映画によって業界を独走した。時代の移り変わりに歩調を合わせて、ジャンルも時代劇映画から任侠映画へと代わったが、どのジャンルでも映画館収入を守るという方針は変えなかった。特に映画産業が斜陽化する中、任侠映画路線はテレビにできない刺激を狙い、産業的に大きく成功した。東映が生き残った秘訣はそこにあると言えるだろう。
>>
1974年に岡田が目論んだ"共産党の実録"という企画は実現しなかった。岡田の試みた大組織に映画公開前に前売り券を売り捌くという手法は、その後『空海』『福沢諭吉』などの伝記映画、『ヘルメス-愛は風の如く』、『仏陀再誕』など、東映系でかけられる幸福の科学製作のアニメなど、東映のビジネスモデルとして引き継がれた。
>>
バブル景気の頃に企業から出資を受けて、企業の団体動員に支えられた前売り券映画と呼ばれる映画が数多く作られたが、30社以上の出資を受けた本作は、大映の『敦煌』と並んで前売り券映画の代表作と言われる。しかし、400万枚もの前売り券が企業にバラまかれた結果、配給収入で50億円を突破して数字の上では大ヒットでありながら、前売り券が金券ショップで叩き売られて劇場は閑散としていたという。関連企業を通じて売った前売り券の総数は477万枚または約530万枚ともされる。
配給は当初東宝だったが、配給歩率を巡り商談が決裂し角川が東映の岡田茂社長に泣きつき、配給は東映洋画部に代わった。角川と東映は一度決裂しており、東宝も角川がまさか東映に話を持ち込むとは考えず、強気の契約に出たのが裏目に出た。配給歩率は角川85、東映15である。角川は岡田に「前売り券を500万枚売る。そのうち、東映で100万枚引き受けてくれ」と言ってきたという。製作費50億円のうち、宣伝費に角川側が15億円、東映が7億円を負担した。単純計算で前売り券だけで配収25億円となる。

  • 2020/7/1501:28:55

    テレビと映画のエログロ住み分け論はベトナム戦争の生首サッカー中継を説明できない。

    >>
    「欽ちゃんのシネマジャック」は欽ちゃんが「映画の楽しさを伝える」と93年は1本15分(94年は20分)を5本立てで上映する。欽ちゃん本人が製作の指揮を取り、1本約4000万円の費用を全額負担した。観覧者は映画館に見る本数分を申告して1本300円を支払う。それ以上に鑑賞したければ超過料金を事後に収めるという斬新な企図だった。
    私はこの報に触れた時に「映画の楽しさを伝える」との欽ちゃんのうたい文句を素直に受けとめられなかった。コメディアンから文化人へと脱する投資のにおいをかいだのだ。
    事実「欽ちゃんのシネマジャック」は93年のブルーリボン賞特別映画賞とやらを受賞したが全国60館以上の上映を目指すと打ち上げていたのに数館に止まるや、たった2年でやめてしまった。その後、彼がこのことについて公式にコメントしたとの報を寡聞にして私は知らない。

返信を取り消しますが
よろしいですか?

  • 取り消す
  • キャンセル

2020/7/1403:15:47

団塊の世代に受けたから
需要と供給だ

だからこの時代の映画を肯定しているのはほとんど団塊の世代だな

TVでは見れないと回答があるが
それ以前の映画は唐突にエロシーンとか皆無だ
だからこの回答は浅すぎる

man********さん

2020/7/1210:27:25

元々 あらゆる観客層を狙って 様々なジャンルを量産していたのが、ドル箱の時代劇が 飽きられて 子供は テレビを観始めて 映画の衰退が始まりました。
そこで 男性客に狙いを定めて テレビでは放映されにくい ヤクザ物やピンク映画が 予算を下げて量産されました。
私の子供時代 大阪北部の繁華街に育ち 近所の映画館(東映 日活ロマン)は 漫画祭りは 最後までやっても 例え大作でも 客の入りが悪ければ 早々に打ち切り 実録ヤクザ映画3本立てに替わってましたね。
その方が コンスタントに客は付いてました。

プロフィール画像

カテゴリマスター

jun********さん

2020/7/1200:41:41

日本映画界の人材が払底してしまい、
テレビドラマとの差別化を図るには、
過激なものを作るしかないと、
馬鹿げた思いつきに取りつかれたからです。

確かに、当時の映画の観客は、男性サラリ-マンが外出した際の、
空き時間需要と、男子学生の暇つぶし需要が中心だったので、
短期的には過激な暴力&性描写を売り物にする事は、
観客確保には、一定の効果がありました。
しかし、煽情的なポスターや映画タイトルは、
女性客や家族連れを映画館から、一段と遠のかせる結果になりました。
私も当時小学生でしたが、怪獣映画見たさに親にねだって、
映画館に連れて行って貰うと、予告編で、
血しぶき飛び交う殺し合いの場面や、
女性が複数の男性に襲われて泣き叫ぶ場面を目の当たりにして、
衝撃を受けた記憶があります。
その後、親は日本映画には連れて行ってくれなくなりました。

大人になり、自分がマーケティングや商品企画の仕事をするようになり、
当時の日本映画界の無能さが、つくづく理解できるようになりました。

2020/7/1123:48:27

当時、映画がTVに喰われて急速にというか、たかだか10年程度の間に観客動員数が5分の1になるぐらいの恐ろしい勢いで凋落に向かいつつあり、ひとまずどぎつい題材で繫ぎ止めようとしたのが大きい。

あとは、ポルノは製作費がそんなにかからないというのもある。

この質問につけられたタグ

みんなで作る知恵袋 悩みや疑問、なんでも気軽にきいちゃおう!

Q&Aをキーワードで検索:

Yahoo!知恵袋カテゴリ

一覧を見る

Yahoo! JAPANは、回答に記載された内容の信ぴょう性、正確性を保証しておりません。
お客様自身の責任と判断で、ご利用ください。
本文はここまでです このページの先頭へ

「追加する」ボタンを押してください。

閉じる

※知恵コレクションに追加された質問は選択されたID/ニックネームのMy知恵袋で確認できます。

不適切な投稿でないことを報告しました。

閉じる