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旧日本陸軍の輜重兵は歩兵などから軽んじられたと言われていますが、彼らの任務が...

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ID非公開さん

2020/7/1412:15:12

旧日本陸軍の輜重兵は歩兵などから軽んじられたと言われていますが、彼らの任務が陸上での後方から前線への輸送任務だとすると、

船舶工兵も海上での後方から前線への輸送任務ですが、船舶工兵に対しては歩兵は軽んじていないのは何故ですか?
海上輸送は自分達も運んでくれるからですか?

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ベストアンサーに選ばれた回答

kuronekofanさん

編集あり2020/7/1423:58:17

軽んじるというのは違うようです。
前線に出ることの多い歩兵に比べて後方勤務なのでやっかみで嫌みを言う兵隊はたくさんいました。それは主計や衛生兵に対しても同じです。
しかし、実際には輜重部隊は必ずしも後方とは限らず前線部隊に帯同していることも多々ありましたから戦死者も意外に出ています。また弾薬食料を補充してくれるのでありがたい存在でした。

次に、歩兵などは、戦地に行くまで輜重兵を知りませんが、戦地で輜重兵の現実を目の当たりにすると
大変うらやましい目で見たそうです。輜重兵は「輜重輸卒」の指揮管理者です。
たとえ二等兵でも下士官並みに拳銃と軍刀を下げ、乗馬長靴を履き,マントを着けて馬に乗り、十数名の輸卒を指揮する姿は格好良く、羨望の目で見たことは容易に想像できます。
また、輜重兵部隊の半分は自動車部隊で、そこでは滅多に歩兵が乗れない自動車で移動できるわけです。

なお輜重兵と輜重輸卒は全く違います。
輸卒は後に輜重特務兵となりますが、万年二等兵のまま一等兵になることが出来ず
輜重兵の指揮下で荷役を担当していました。(昭和18年末に一等兵に昇格できるようになったが、輜重二等兵から指揮を受ける立場は変わらない)
中国軍からは日本苦力(=奴隷)とよばれていました。

この輸卒は3ヶ月の訓練だけで荷役に従事し、しかも銃剣だけ付けましたが小銃を持たないので、およそ兵隊とはいえない姿格好をしています。
そのため、有名な戯れ歌「輜重輸卒が兵隊ならば、蝶々トンボも鳥のうち」が出来たほどですが、太平洋戦争初期までは半年で復員という特典もありました。

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    質問者

    ID非公開さん

    2020/7/1421:53:34

    ご回答ありがとうございます。

    士官学校では輜重科への配属は不人気で強制的に配置した様ですが、兵隊にとっては羨望の的だったということでしょうか?
    また輜重輸卒は同じく徴兵だと思いますが、なぜ一般兵士と違う体系を取ったのでしょうか?
    輜重隊は自動車が運用出来ない場合は人力で物資を運んだ様ですから体力が無いと出来ないと思います。

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質問した人からのコメント

2020/7/16 17:24:19

ありがとうございました。

ベストアンサー以外の回答

1〜1件/1件中

2020/7/1412:20:10

輜重兵が軽視されたと言う話ですが。
実は、輜重に携わる人が軍属が多かった(兵士ではない)って言うのかあったようです。
当然、全員軍属ではなく指揮を取るのは軍人ですから、軍人は別です。

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