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2020/8/18 18:16

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西城秀樹さんに関する、先ほどYahoo!ニュースで報じられた『エルヴィス・プレスリーと西城秀樹を結び付けたのは、

邦楽 | 話題の人物811閲覧xmlns="http://www.w3.org/2000/svg">100

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ThanksImg質問者からのお礼コメント

脳梗塞に起因する記憶違いをネット上で配信する際に検証すべきというご意見もありますが、やはりウィキなんかをチェックすればすぐに分かるような誤りですので、検証漏れというのも変な話です。何かの意図で間違った記事を書いている様に思えてきました。プレスリーの二番煎じ・・・と言っているとのご意見もありますが、こういう記事ってやはり書き手の思惑もあるんじゃないかなぁ。分かりませんが。。。

お礼日時:2020/8/24 16:59

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①は、記事の書き手の「記憶違い」か、何らかの資料等に基づき書いたものであれば「資料に誤りがあった可能性」が考えられます。 「秀樹さんの曲のタイトル」だの「その曲が1位になったとかならなかった」といったことは秀樹さんファンぐらいにしか分からないことで、しかも、40年以上も前のことです。 書き手の音楽プロデューサーという人は、ファンでもなければ特に秀樹さんに詳しいというわけでもないようなので、おそらく「誤った内容の資料を正しいものと信じてこの記事を書いた」と推察します。 それから、何か意図的なものというのも感じられないです。 存命中で芸能界に影響力を保っているわけでもない、もう亡くなってしまった秀樹さんの間違った情報を今さら流したところで、いったい誰がどこの放送局が得するでしょうか? そんな人も局なんて無いでしょうから、間違った情報を流すことに意義も意味も無いと思います。 余談ですが、記事中の「ちぎれた愛」と「激しい恋」の秀樹さんの2曲に関する記述が不正確なのは事実です。 ただ、プレスリーをメインテーマにしたこの記事にとっては、この記述の正否はどうでもいいことのように思えます。 ⑤は、秀樹さんの記憶違いで、秀樹さん自身も出版されるまで気づいていなかったのではと思います。 著書の書かれた2004年の時点で紅白初出場は30年以上前のことですし、それまでに秀樹さんはたくさんの仕事をしてこられていたのですから、仕事に関しての記憶違いがあっても不思議ではないと思います。 なぜなら、誰にでも「たとえ自分の事でも、何十年も前の事で記憶違いをしていた」という経験はあるからです。 また、別の考えを述べさせてもらうと、著書は「秀樹さん本人の書いた文章によるもの」なので、そのため秀樹さん以外の人たちも誤りの存在の可能性を考えておらず、チェックが甘くなっていたということも考えられます。 それから、他の方の回答で「記憶喪失」とありますが、もしかしたら、脳梗塞による「高次脳機能障害」 https://noureha.com/glossary/executive_dysfunction/ があった可能性も考えられないことはないのですが、今となってはよくわかりません。

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ご指摘の通り、①と⑤の記事は間違っています。 西城秀樹さんのデビュー当時のイベントを簡単にまとめると、以下の通りです。 _/_/1972年_/_/ 03/25 【恋する季節】歌手デビュー(5.8万枚/第42位)★③ 10/02 【恋の約束】初オリコントップ20(14.0万枚/第18位)★③ 11/25 【チャンスは一度】スマッシュ・ヒット(9.9万枚/第20位)★③ _/_/1973年_/_/ 02/25 【青春に賭けよう】スマッシュ・ヒット(12.1万枚/第16位)★③ 06/25 【情熱の嵐】初オリコントップ10(24.6万枚/第6位) 09/24 【ちぎれた愛】初のオリコン1位(47.5万枚/第1位)★①⑤ 12/24 【愛の十字架】連続オリコン1位(35.2万枚/第1位)★① 12/31 レコード大賞【歌唱賞】「ちぎれた愛」 _/_/1974年_/_/ 02/25 【薔薇の鎖】大ヒット(33.4万枚/第3位) 05/25 【激しい恋】大ヒット(58.4万枚/第2位)★① 08/25 【傷だらけのローラ】大ヒット(34.0万枚/第2位) 11/25 【涙と友情】ヒット(27.4万枚/第4位) 11/26 歌謡大賞【放送音楽賞】「傷だらけのローラ」 12/08 有線大賞【大衆賞】「激しい恋」 12/31 レコード大賞【歌唱賞】「傷だらけのローラ」 12/31 紅白初出場(~84年)「傷だらけのローラ」★⑤ ①に関して、2曲続けてヒットチャートの1位に輝いたのは「1974年」ではなく「1973年」で、「ちぎれた愛」と「激しい恋」ではなく「ちぎれた愛」と「愛の十字架」です。 ⑤に関して、『ちぎれた愛』が発売されたのは『情熱の嵐』の「翌年(1974年)」ではなく「同じ年(1973年)」で、初めて紅白歌合戦に出場したのは「この年(1973年)」ではなく「翌年(1974年)」で、歌唱曲も「ちぎれた愛」ではなく「傷だらけのローラ」です。 注釈として、西城秀樹さんの2004年の著書『あきらめない - 脳梗塞からの挑戦』からの引用とされて、確かに脳梗塞を発症された後に書かれた書籍ですので、記憶違いもあったかもしれませんが、著書を出版する並びにこの記事を投稿するにあたって、事実かどうかの検証を誰もしなかったというのも、些か疑問が残ります。 ③に関しても、『恋する季節』の後、四曲目まで(『恋の約束』『チャンスは一度』『青春に賭けよう』)は鳴かず飛ばずとは言い過ぎの様に思います。『恋の約束』の売上は『ギャランドゥ」を上回っていますし、『青春に賭けよう』の売上は『走れ正直者』を上回っています。 デビューから四曲目までは、単なる曲自体の問題ではないでしょうか。デビュー当時の西城秀樹さんには、特徴が無いとか、魅力に欠けていたとかいう執筆者もおられますが、男らしく整った顔だちとそれでいてセクシーな目鼻だち、さらに長身で脚の長いスラリとスリムなスタイルによる、ダイナミックなアクションと、ハスキーでエモーショナルな歌声による、全身全霊をささげた様な絶唱での、奇跡のビブラートを効かせた圧倒的な歌唱力、そしてそこから生ずるスケールの壮大な音楽の世界観と、まさに規格外にカッコいい方でした。 【情熱の嵐】(1973年5月25日) https://www.youtube.com/watch?v=jrbzL6GqicU 待望の初のベストテン入りを果たし、客席からの“ヒ.デ.キ!!”コールが話題を呼ぶ。全国にその名をとどろかし、一躍トップアイドルとして不動の地位を獲得。 【ちぎれた愛】(1973年9月5日) https://youtu.be/V1Ukrw0HpO0?t=367s デビュー2年目にして、新御三家で初のヒットチャート第1位に輝いた絶唱型の名曲で、10代の若さにしてその歌唱力が評価され、レコード大賞で初めて歌唱賞を受賞し、実力派歌手としても名を上げる。 【愛の十字架】(1973年12月5日) https://www.youtube.com/watch?v=2KNihj8OjjA その歌唱力を遺憾なく発揮し“世紀の絶唱!!”と絶賛され、「ちぎれた愛」に続いて連続ヒットチャート第1位に輝き、一躍トップスターの仲間入りを果たした名曲中の名曲。 【激しい恋】(1974年5月25日) https://www.youtube.com/watch?v=Pszh0lJU7b0 “♪やめろと言われてもー!”という流行語を生み出すとともに、人気ナンバーワンとして、一大ブームを巻き起こす、 年間売上ランキング第8位の大ヒット。日本有線大賞で大衆賞を受賞。 【傷だらけのローラ】(1974年8月25日) https://www.youtube.com/watch?v=A9_aXSVZAu8 「ちぎれた愛」「愛の十字架」に続く絶唱型の曲で、海外でもヒットチャート第2位にランクインされ、ポップス歌手としては史上初となる、レコード大賞で2年連続歌唱賞。紅白歌合戦にトップバッターとして待望の初出場を果たし、“人気・実力共にナンバーワン”の称号を得て、歌謡界の頂点に立つ。 _/_/_/_/西城秀樹シングル売上ベスト50_/_/_/_/ ①YOUNG MAN(Y.M.C.A.)(1979年2月21日)80.8万枚/第1位 ②激しい恋(1974年5月25日)58.4万枚/第2位 ③ちぎれた愛(1973年9月5日)47.5万枚/第1位 ④ホップ、ステップ、ジャンプ(1979年5月21日)36.9万枚/第2位 ⑤愛の十字架(1973年12月5日)35.2万枚/第1位 ⑥恋の暴走(1975年5月25日)34.1万枚/第3位 ⑦傷だらけのローラ(1974年8月25日)34.0万枚/第2位 ⑧君よ抱かれて熱くなれ(1976年2月25日)33.6万枚/第3位 ⑨薔薇の鎖(1974年2月25日)33.4万枚/第3位 ⑩勇気があれば(1979年9月5日)30.8万枚/第3位 ⑪ブルースカイブルー(1978年8月25日)29.3万枚/第3位 ⑫この愛のときめき(1975年2月25日)27.7万枚/第3位 ⑬涙と友情(1974年11月25日)27.4万枚/第4位 ⑬悲しき友情(1980年1月5日)27.4万枚/第6位 ⑮眠れぬ夜(1980年12月16日)27.1万枚/第10位 ⑯炎(1978年5月25日)25.7万枚/第5位 ⑰情熱の嵐(1973年5月25日)24.6万枚/第6位 ⑱愛の園 (AI NO SONO)(1980年3月21日)23.8万枚/第7位 ⑲ジャガー(1976年6月5日) 23.7万枚/第3位 ⑳若き獅子たち(1976年9月5日)23.0万枚/第4位 ㉑南十字星(1982年3月25日)22.9万枚/第6位 ㉒白い教会(1975年10月25日)22.6万枚/第4位 ㉒ラストシーン(1976年12月20日)22.6万枚/第8位 ㉔ブーツをぬいで朝食を(1978年1月1日)21.7万枚/第7位 ㉕あなたと愛のために(1978年3月5日)21.4万枚/第6位 ㉖ブーメランストリート(1977年3月15日)21.2万枚/第6位 ㉗リトルガール(1981年3月21日)19.5万枚/第9位 ㉘遙かなる恋人へ(1978年11月25日)19.3万枚/第8位 ㉙至上の愛(1975年8月25日)18.5万枚/第6位 ㉚聖・少女(1982年6月21日)17.4万枚/第9位 ㉛抱きしめてジルバ(1984年10月15日)15.4万枚/第18位 ㉜俺たちの時代(1980年6月5日)15.2万枚/第6位 ㉝セクシーガール(1981年6月21日)14.2万枚/第10位 ㉞恋の約束★③(1972年7月25日)14.0万枚/第18位 ㉞ボタンを外せ(1977年9月5日)14.0万枚/第12位 ㊱セクシーロックンローラー(1977年6月5日)13.8万枚/第7位 ㊲ギャランドゥ■(1983年2月1日)13.7万枚/第14位 ㊳ジプシー(1981年12月20日)13.6万枚/第15位 ㊴青春に賭けよう★③(1973年2月25日)12.1万枚/第16位 ㊴エンドレス・サマー(1980年7月21日)12.1万枚/第12位 ㊶走れ正直者■(1991年4月21日)11.4万枚/第17位 ㊷腕の中へ(1985年11月21日)11.2万枚/第10位 ㊸サンタマリアの祈り(1980年10月5日)11.1万枚/第13位 ㊹一万光年の愛(1985年2月5日)10.0万枚/第12位 ㊺チャンスは一度★③(1972年11月25日)9.9万枚/第20位 ㊻センチメンタル・ガール(1981年9月5日)9.8万枚/第17位 ㊼ナイトゲーム(1983年6月1日)8.5万枚/第19位 ㊽moment(1997年8年6日)8.4万枚/第29位 ㊾漂流者たち(1982年9月30日)8.2万枚/第15位 ㊿黄昏よ、そばにいて(1995年1月21日)7.4万枚/第69位

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プレスリーの二番煎じで、西城秀樹さんが洋楽のロックをやって成功したみたいな書き方ですね。 西城秀樹さんは、ロックだけではありませんよ。豪快さと繊細さの双方を併せ持った歌唱力と表現力により、邦楽のフォーク・ソング、演歌から、洋楽のポップス、ロック、バラード、ジャズ、カンツォーネ、シャンソン、ボサノバまで、どんなジャンルの曲も見事に歌いこなしました。 天性の声質(素質)があるからなのか、耳障りがよく本当に自然と心を揺さぶられます。歌唱力はもちろん、カッコいいパフォーマンスやスケールの大きさなど、唯一無二の存在で、やはり人を感動させる力は桁違いです。

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間違ってますね。 しかし自著からそのままの抜粋なら、秀樹の記憶が間違ってることになります。 秀樹は何かの番組にゲスト出演したとき、「漂流者たち」(1982年)を覚えていない、と言っています。 練習を含めて何百回も歌っただろうシングル曲を覚えていないというのは信じがたく、シングル50 曲記念コンサートでも歌ってるのに忘れたということは、秀樹は軽い記憶喪失だった可能性があります。

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