所謂「モンゴル」と言う國名・地名はあのチンギス・ハーンを輩出した部族「モンゴル族」から来ていて、

所謂「モンゴル」と言う國名・地名はあのチンギス・ハーンを輩出した部族「モンゴル族」から来ていて、 仮に他部族の方が強勢でモンゴル高原を制圧(例えばメルキト族)していれば今は國名・地名「メルキト」「メルキト高原」とかに成っていたんですかね?

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ベストアンサー

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その可能性は大いにあると思います。 17~18世紀あたりは、チンギス直系ではないので「モンゴル」ではなく、「オイラト」と呼ばれた部族が強勢を誇っており、一時的にチベットに覇権を及ぼしたこともありましたが、こちらが勝っていれば今ごろ「オイラト共和国」があったかもしれません。 ちなみに、『風の谷のナウシカ』に出てくる「トルメキア帝国」が、「メルキト」を少しひねったネーミングなのは間違いないと思います。

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ThanksImg質問者からのお礼コメント

有難う御座いました!

お礼日時:9/15 11:09

その他の回答(2件)

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遊牧民は明確な族区分出来ません。 モンゴルも満州も連合体です。 中心の蒙古でモンゴル、満州は金名乗ってる。 4国代表してイギリスと言う。

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帝国の版図の変遷 テムジンがチンギス・カンを名乗った1206年から1294年のモンゴル帝国(赤)の領域に続き、4つの領域国家のゆるやかな連邦体制に移行した帝国の版図を示した(1294年時点)。ジョチ・ウルス(黄)、チャガタイ・ウルス(濃緑)、イルハン朝(緑)、大元ウルス(紫)である。 テムジンが大ハーンに推戴されチンギス・カンを称す1206年クビライが大ハーン即位を一方的に宣言する1260年朱元璋の立てた明により中国の地を追われる1368年後金により滅亡1634年