玉音放送はかなりの文語調で話されていますが、聞いていた方々は即座に理解できたのでしょうか?

玉音放送はかなりの文語調で話されていますが、聞いていた方々は即座に理解できたのでしょうか?

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私の亡父は昭和2年生まれで、終戦の時は18歳。学徒動員で市内の鉄工所に行っていました。玉音放送の時は、工場長以下直立不動で聞き入っていましたが、ラジオの雑音も多く、昭和天皇の文語体かつ独特の抑揚の放送で、父はもちろんのこと、工場長以下のお歴々も全く理解できず、放送後、工場長が、「今の放送は、戦況はいよいよ厳しいが、皆、これまで以上に夫々の務めを果たせ.....ということを言われたのだと思う。」と訓令し、仕事に戻ったところ、しばらくして、外部から無条件降伏したこと伝わってきて工場内は騒然とした......と生前、言っておりました。

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ThanksImg質問者からのお礼コメント

皆さん細かく教えてくださり感謝いたします。ベストアンサーは迷いましたが、やはり実話が一番臨場感があるのでこの方に決めさせていただきます。ありがとうございました。本当ならコインをつけたかったところなのですが、忘れましたm(__)m

お礼日時:9/25 23:40

その他の回答(7件)

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玉音放送は、国内放送、海外放送、東亜放送の全系統を動員して、日本本土と短波により、東亜中継放送を通じて中国占領地、満州、朝鮮、台湾、さらに南方諸地域に送られた。このため、電波管制により昼間一○キロワットであった放送出力を六○キロワットに増力し、昼間送電のない地方にも特別送電の措置がとられた。 ・午前十時三十分 大本営発表。我航空部隊は八月十三日午後、鹿島灘東方二十五浬 (かいり)に於て航空母艦四隻を基幹とする敵機動部隊の一群を捕捉攻撃し、航空母艦 一隻及び巡洋艦各一隻を大破炎上せしめたり ・午前十一時四十分 東部軍管区情報。霞ヶ浦にありし敵二機は、目下鹿島灘にあり ・午前十一時五十五分 東部軍管区情報。東部防衛司令部、横須賀鎮守府司令部発表。 1、敵艦上機二百五十機は三波に分れ二時間に亘り、主として飛行場、一部交通機関、市街地に対し攻撃を加えたり。2、十一時迄に判明せる戦果、撃墜九機、撃破二機なり ・午前十一時五十九分 東部軍管区情報。目下、千葉、茨城の上空に敵機を認めず 千葉茨城両地区、関東海面は警報発令中なるも、東部防空情報一時中止す ・正午の時報 ・(和田信賢アナウンサー) 只今より重大なる放送があります。全国聴取者の皆様御起立を願ひます。 ・(下村宏情報局総裁) 天皇陛下におかせられましては、全国民に対し、畏(かしこ)くも御自ら大詔(おおみことのり)を宣(の)らせ給ふ事になりました。 これより 謹みて 玉音をお送り 申します ・君が代奏楽(レコード) ・天皇陛下による詔書放送(録音再生)(四分三十五秒間) ・君が代奏楽(レコード) ・(下村宏情報局総裁) 謹みて天皇陛下の玉音放送を終わります。 ・(和田信賢アナウンサー) 謹んで詔書を奉読いたします 畏くも 天皇陛下に於かせられましては万世の為に太平を開かんと思召され きのう政府をして 米・英・支・蘇四国に 対し ポツダム宣言を受諾する旨 通告せしめられました。 畏くも 天皇陛下に於かせられましては同時に詔書を渙発あらせられ、帝国が 四ヶ国の共同宣言を受諾するの已むなきに至つた所以も 御宣示あらせられ けふ 正午 畏き大御心より詔書を 御放送あらせられました。この未曾有の御ことは、拝察するだに畏き極みであり 我々臣民は ただ/\詔書の御旨を必謹 誓つて国体の護持と、民族の名誉保持のため、滅私の奉公を誓ひ奉る次第でございます。 謹んで 詔書を奉読いたします。 (詔書) ・謹んで詔書の奉読を終ります。 ・聖断の経過 ・内閣告諭 ・終戦決定の御前会議の様子 ・交換外交文書の要旨 ・ポツダム宣言受諾に至った経緯 ・天皇の大御心による御聖断 ・ポツダム宣言正文 ・カイロ宣言正文 ・共同宣言受諾=平和再建の大詔渙発 ・八月九日から十四日までの重要会議の開催経過 十二時三十七分、歴史的な放送は終った。日本の歴史上もっとも衝撃的な放送は、三十 七分半で終わった。全三十七分半のうち「詔書」が約五分であり、詔書前後の「君が代」の奏楽や紹介アナウンスの時間を引くと約三十分のニュースということになる。「堪ヘ難キヲ堪ヘ」という昭和天皇のお言葉はセミ時雨の中、全国津々浦々に流れた。 玉音放送には雑音が多く、内容が非常に聴き取りにくかったのは、中継線の減衰によるものであった。 午後三時、午後五時、午後七時、鈴木貫太郎首相の「大詔を拝し奉りて」が放送され、 その後午後九時過ぎまで詔書の奉読やポツダム宣言受諾までの経過が繰り返し放送された。 八月十五日のニュースは、つぎの六回であった。午前七時二十一分(九分間)、正午(三十七分半)、午後三時(四十分間)、午後五時(二十分間)、午後七時(四十分間)、午後九時(十八分間)。その際に阿南惟幾陸相が自刃したことが、放送された。 午前七時二十一分のニュースが、なぜ本来の七時ではなかったかの理由は、本土決戦を叫び降伏に反対する反乱軍によって放送会館が午前四時ごろ占拠されたからである。反乱軍の将校は「自分に放送させてくれ」と強要したが、職員は空襲警報発令中は東部軍管区司令部の許可が必要だとつっぱねた。その許可が得られなかったため反乱軍は午前七時ごろ引き揚げていった。かわって鎮圧のための東部軍が放送会館に派遣されてきた。こうして、放送開始から休止のままだった放送は、午前七時二十一分のニュースから開始されたのである。 この玉音放送は、八月十五日以降も数日間にわたり海外放送で送出された。詔書は各国 語に翻訳され、時差を考慮して順次放送された。翻訳の国語は二十数か国語に達した。 ラジオの一般放送はそれ以後、十日間休止された。 和田信賢アナウンサーが聖断の経過以降を分かりやすく解説したので、国民は理解できた。

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もはや、結構以前から、「子ども時代に聞いた」という方が大半だし、「意味が分からなかった」という「逸話」の方が面白いので、そういうのが広がっちゃうだけで、あの程度が理解できることは当時は特に変わったことでもありません。 だって、「小学校の校歌」だって、結構難しい言葉が使われていたりするでしょう? 「たらちね」って落語では、「言葉遣いのやたら丁寧な奥さん」が食事の話の締めに「恐惶謹言」と使うのに対し、「じゃあ、酒を飲んだら”酔ってくだんのごとし”かい」と返すのが下げになっています。 もちろん「因って件の如し」のシャレなんですが、決して「教養の高い」人を対象にしていない「落語」でさえ、このくらいの言葉が自然に使われるくらいなんで、こういうのはかなり普通なんです。 ましてや、普通に「高等教育」を受けた人や、日頃から「公文書」と接したり、実際に作っている人もいるし、事務作業に従事している人なんかも社会には当たり前にいます。 そういう人たちには、「かなり謹厳な表現だな」とかは思ったでしょうが、それもまあ「天皇の言葉」とすれば当然だし、意味だって、多少は「なんとなく」となったとしても、十分にわかる範囲です。 実際、私の周りで聞いた範囲では、皆「わからない筈ないだろう」という感じでした。 死んじゃったお婆ちゃんが、当時女学生だったんだけれど、「妹や弟には説明してやらないとな」と思いながら聞いていた、と言っていたんで、まあ、中高生辺りより下は辛いかもしれませんし、当時のラジオ事情とあの時の状況、皆で聞く指示が出ていたんで、ラジオを初めて広場とかに持ち出したんで、うまく受信できなくなっちゃった、なんて話もありますよね。 実際、当時は「ラジオ受信機」は今よりはるかに「高価な機器」で、あのドイツでも、ナチスが「国民ラジオ」を作って、各家庭への普及を図った、という時代ですからね。 ともかく、爺ちゃんなんかも言っていましたが、学徒兵の特攻隊員だったんで、ある意味、もっとも事情はわかっていたんですが、誰も一言も話さなかった、みたいなムードだったそうで、当然、当たり前のように理解した上で、各人の思いに入っていた、別に、説明したりされたりする必要も無かったってことです。

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あの放送を聞いたのは田舎の小学4年生の時でした 村長だった我が家の庭に集まったのは農家のばつちゃん、おかんばかりで陛下の声も妨害電波で何かわかりませんでしたがその直後にアナウンサーの和田信賢氏が陛下のお言葉を説明したのでヘー、そうかいなとわかりました ばっちゃんやおかんたちは息子や亭主が帰ってくるので泣き真似しながらいそいそとした足取りで帰って行きました

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私の母は昭和12年生まれで8歳の時に玉音放送を聞いていますが、意味が分かる・分からない以前にラジオの雑音がひどくて、話している言葉が聞き取れなかったと話しています。

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