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2020/9/11 16:16

22回答

漫画キングダムで、始皇帝の母の趙姫が、邯鄲からどのように脱出したのか描かれていたでしょうか。 政は、この漫画オリジナルの決死の脱出劇でした。

漫画キングダムで、始皇帝の母の趙姫が、邯鄲からどのように脱出したのか描かれていたでしょうか。 政は、この漫画オリジナルの決死の脱出劇でした。 横山光輝史記では、母子ともに趙から秦に丁重に送られていましたが。

コミック | 中国史74閲覧

回答(2件)

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<母子ともに趙から秦に丁重に送られていましたが。> こちらが史記に書かれている史実です。 その漫画は良い加減なので、政を秦に行かせたのは良いけど、我が子虐待の母親のことはすっかり忘れていたようですね。虐待母ならお父さんに頼んで「趙から呼ばないで。」と頼むことも出来たと思いますよ。お父さんは、政が生まれたから母親を正妻にしただけなので、政の方が絶対大事だったと思います。 そこの場面は漫画で見ていませんので、想像ですが、母親は政が秦に来た後に、趙によって丁重に秦に送られたんじゃないですかね(笑)。 「あれ、政の奴が秦に来てる?!家出したと思ったら、先に秦に来てたんだ。なんで家出なんかしたんだろーね。普通に趙が良い馬車と御者を用意してくれて、旅費を負担してくれて秦に送ってくれたよ。本当におかしな子だね。」 と母親は思ったことでしょう。

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始皇帝が秦に送られるときについて行ったものでしょう。 外国からの人質が暮らすホテルは指定されてましたし、秦の外交地位に合わせた待遇がなされたようです。 この人質が殺されるときは両国間で戦争するときなのでそれなりに大切に扱われました。 その人質が滞在中に自国の者と婚姻するのは好ましく、これまた両国の親善(軍事同盟など)に役立つことなので歓迎されたはずです。 秦王から子楚の帰還要請がなされると次の人質かお嫁さんが趙に来て、入れ替わりに戻ることができたのです。 人質の子楚は実名でなく、秦に帰還後に楚出身の皇后のご機嫌取りで養子となり、その際に「(元々秦の子だが)楚の子でもある」という意味で付け直されたものです。