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2020/9/14 14:19

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仏教では子供が親を選んで生まれてくると教えていますが、それから考えると、親に虐待されるのは子供の自業自得、虐待防止の活動は仏法に反する悪行になるのですか?

仏教では子供が親を選んで生まれてくると教えていますが、それから考えると、親に虐待されるのは子供の自業自得、虐待防止の活動は仏法に反する悪行になるのですか?

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仏教は生まれ変わるというのが基本の考え方です。生まれ変わるのですから天国や地獄が現実とかけ離れた所に在ったのでは辻褄(つじつま)が合いません。天国も地獄も現実の世界で見ることができます。例えば金持ちの幸せな家庭に生まれる子供と、貧乏で親から虐待されるような家に生まれる子供、この違いが天国と地獄です。他には平和な国に生まれる子供と戦争が絶えないような国に生まれる子供、この違いも天国と地獄です。天国や地獄は生まれる場所のことなのです。 仏教の地獄絵図は比喩です。地獄絵図には火で焼かれたり身体を切り刻まれたり水責めにされたりしている姿が描かれていますが、爆弾で吹き飛ばされたりタバコの火を押し付けられたりすることとなんら変わりはないと思いませんか。罪人を攻めている鬼は怒り怨み嫉妬に駆られた人間の姿を比喩的に描いたものです。子供を虐待する親や戦争で多くの人を焼き殺し傷ける人間が鬼なのです。 誰かに恨みを抱いたまま死ねば地獄に生まれ鬼となるような生活環境で育ち、恨んでいた人の人生の前に立ちはだかり害をなします。これを悪縁と言います。例えば恨まれていた人が恨んでいた人の子供として生まれたら、親が鬼となり子どもは毎日が地獄です。現実の生活においても恨みや怒りや嫉妬は人間の心を鬼に変えます。鬼とは他人の不幸を願うようになった人間のことです。鬼の住む場所は地獄なので自分の生活が地獄へと変化していきます。それは恨みや怒りや嫉妬は自分が幸せになるための合理的な正しい判断をできなくするからです。したがって「許す」というのは相手のためではなく自分のためなのです。 普通の人間が鬼になるというのは、人間の内面には鬼と仏性の両面を併せ持っているというのが仏教の教えです。仏性とは慈悲のことです。慈悲とは地獄に在る人に救いの手を差し伸べたいと思う気持ちであり、それを実践するのが成仏の道である菩薩行です。ボランティアや青年海外協力隊も菩薩行であり、困っている人を助けるのも虐待されている子供を救い出すのも、虐待している親を地獄から救い出すのも菩薩行なのです。

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その他の回答(5件)

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日蓮系カルトではそう教えています。 人は前世に法華経誹謗の悪業を重ねていて、それを宿業として今も背負い込んでいるという考え方です。 つまり、実親に虐待される子は正しい教えを人一倍批判した罪を今生で最愛の親に殴る蹴るされる形で「教えられる」そうです。 虐待する親はその自覚なしに、罪深い子供に法華経誹謗の罪深さを「教えている」そうです。 実親に殺される子供はどうなんでしょうね。 これが事実なら、懺悔のチャンスすらないってことですからね。 真面目に聞いていると反吐が出そうですね。

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> 仏教では子供が親を選んで生まれてくると教えています そのことは、どの経典に書かれていますか? 大乗仏教には「願生思想」がありますが、それは、菩薩として人を導くために、願って娑婆世界に生まれることです。子が親を選ぶという考えは、拡大解釈です。仏教から離れてしまいます。虐待防止は、子どもを救うことになりますので仏法には反しません。

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親子関係は縁ですから、親は子を選ぶことはできないし、子も親を選べません。虐待によって心に傷を負った子どもを保護するのは善行です。

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>>>仏教では子供が親を選んで生まれてくると教えていますが、 そんな話は聞いたことがない。 仏教ではなく、スピリチュアルだと思います。 >>>それから考えると、親に虐待されるのは子供の自業自得、 そもそも子は親を選べないし、親も子を選べないとしている立場ですので、質問時代が意味をなしていません。 >>>虐待防止の活動は仏法に反する悪行になるのですか? なるわけが無いですね。 質問者さんの前提が間違っています。

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自業自得の業は、自らの努力で改善できるというのが仏教。 生き物に慈しみの心で接するのは、善い行為、すなわち善業。 だから、虐待防止の活動は、善業を積んでいることになるでしょう。

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