ID非公開

2020/9/15 23:36

33回答

池田大作って創価学会やる前は何してたんですか?

池田大作って創価学会やる前は何してたんですか?

2人が共感しています

ベストアンサー

8

鉄工所に勤務し、鉄工所を退職した後は印刷屋に勤務。 職を転々とした後、創価学会2代目会長の戸田城聖が経営していた大蔵商事という貸金と中古品販売をしている会社に入社し、高利貸しの取り立てをしていました。 高利貸しで好成績をあげた池田は、創価学会の査定に良い影響を与え、青年部員から諜報部室長に昇進。 数々の工作、謀略、買収などの業務に携わり、あれよあれよという間に教祖の座に就いたのでした。 池田は宗教屋というよりも、取り立て屋あがりの工作員なんですね。 だから、政治家や文化人から、「創価学会は工作団体、謀略集団である」と言われているわけです。 池田大作に詳しいジャーナリストの本から転載です。 連載 新「創価学会」を斬る【第7回】 山田直樹 「高利貸し営業部長」だった極貧「池田大作」の知られざる屈辱人生 32歳で創価学会3代会長に就任以来、実に43年。池由大作名誉会長ほと離反者を生み、さまざまな告発を受けた人物はいない。 学会員の絶対的な崇拝の対象となる一方で、この人物の特異な人間性は、常に多くの裏切りを生み続けた。今や与党・公明党の事実上のオーナーとして法王の座を手に入れた池田氏。連載第7回は、とうしても触れられたくないその知られざる過去に迫る。 (中略) 公称550万部の創価学会の機関紙・聖教新聞は、これまでの連載でも触れたように敵対者への口汚い誹謗・中傷記事で溢れている。 しかし、もちろんそれだけではない。常に1面を飾るのは、池田大作氏の業績紹介であり、礼賛記事である。 例えば、先月(11月)1ヵ月間の同紙はどうか。この中で、勲章など池田氏の受賞関連の1面トップ記事は実に13にのぼる。名誉博士2件、名誉市民4件、顕彰状・感謝状3件、受賞4件という具合だ。繰り返すが、これはたったひと月の間である。 <ブラジル マイリンケ市SGI会長夫妻を名誉市民に>(3日付) <人間革命の哲学が21世紀の扉を開いた 台湾各地から池田SGI会長に感謝状>(9日付) <フィリピン キャピトル大学が決定 池田SGI会長に名誉博士第1号)(11日付) ……等々である。 12月に入っても、それは変わらない。12月4日付聖教新聞には、 <非暴力 源流の国・インドで大反響 ガンジー・キング・イケダ展>という特大の記事が載っている。 敵対者を口汚く罵り、これまで言論出版妨害事件や宗門との激しい抗争を繰り返し、脱会者への徹底した攻撃を行なってきた池田大作氏が、よりによって〝非暴力・不服従″のマハトマ・ガンジーや黒人公民権運動の指導者キング牧師と肩を並べたという展覧会なのだから、いくら創価学会が後援するイベントとはいえ、鼻白む人は少なくあるまい。 貧困の中の虚と実 日本人の美徳の一つに「恥を知る」 があることは、これまで欧米の文化人類学者が幾度となく指摘してきた。 慎み深さや奥ゆかしさという言葉でもそれは言い換えられるが、しかし、多くの日本人には、毎日毎日、自らが全権を握る機関紙に自分が勲章や名誉称号を受けたことを写真つきで大々的に報じさせ、あるいは世界中でノ「ガンジー・キング・イケダ展」なるものを開催させる池田がどう映るだろうか。少なくとも彼が、その「恥を知る」日本人の特性とは無線な人物であることだけはお分りいただけるだろう。 いずれにせよ、他の宗教団体指導者と最も乖離しているのは、池田氏の異様なまでの勲章へのこだわりや名誉欲、そして自己顕示欲である。それが何に起因するかを知るには、やはり彼の生い立ちから遡らねばなるまい。 池田氏が産声をあげたのは、1928年1月2日。現在の大田区大森北2丁目あたりだ。海苔業者、池田子之吉・一夫婦の第6子(五男)、本名・大作(のち大作と改名)として生を受けた。 頭脳も肉体も取り立てて誇るべき点のなかった池田少年は、極貧の少年・青年期を送っている。 創価学会側が出している『年譜・池田大作』(第三文明社刊、以下『年譜』と略)によれば、7歳頃から、父・子之吉がリューマチで寝込むようになり、この後、家業の海苔作りを手伝い始めたと記述されている。 (中略) 金融取り立てで辣腕 創価学会に入信し、戸田と出会った池田氏は、やがて権力への階段を駆け上がっていく。 上の名刺と写真をご覧いただきたい。大蔵商事 - 現在の池田氏を語る上で、避けて通ることのできないキーワードである。当時、戸田が自分の愛人らを役員に据え、小口金融、今でいう消費者金融の大蔵商事を設立、ここでメキメキ頭角を現したのが池田氏だったのだ。池田氏は、この大蔵商事営業部長という職をきっかけに一気にそれまでの貧困から抜け出し、創価学会第3代会長への道を実き進み始めるのである。 創価学会元教学部長の原島嵩氏が振り返る。「大蔵商事というのは、今のサラ金の原型とでもいうものです。 利回りがいいという売り文句で資金調達をし、それを貸し付ける。貸付先の多くは個人、会社もあったようですが、いずれにしても学会員たちでした。彼はそこで、資金調達や取立てに殊腕を振るい、やがて学会を資金面で牛耳っていったわけです」 どの世界でも、財布の紐を握るものは一番強い。 小川頼宣・創価学会本部元広報部副部長がいう。 「戸田城聖第2代会長は金の面は自分で何とかしようとして、大蔵商事など金貸しや信用金庫などを随分とやったんです。その尻拭いと言うか、酷な言い方をすれば金貸しの手代をしていたのが池田大作です。彼も当初は好きでやっていたわけではないと思うのですよ。しかし、彼には才能があったようで、池田が〝ここ金あるよ″という家には、見た目は貧乏な家でも必ず金があった、ということを古参の幹部から開きました。逆に門構えの立派な家の前で〝ここはどうだ?″なんて聞いても、池田が〝ここにはない″と言えば、その通りだったそうです」 大蔵商事時代の彼が、水を得た魚のごとく活き活きとし、さらに周囲が驚くほどの尊大さを身につけ始めたのは注目に値する。 やがて戸田から信頼を得た池田氏は本部の青年部を経て、参謀室長に抜擢されることになる。 前出の原島嵩氏によれば、「やはり根底にあるのは池田のコンプレックスでしょう。例えば、彼の学歴は富士短大中退です。 しかし、20年近く経ってから、卒論を桐村という教学部の幹部に書かせてまで卒業しました。 幹部には東大卒や早慶卒なども多いのですが、彼らを前にして 〝お前たち、馬鹿だろう″などといっては〝はい″と答えさせ、悦にいっていましたね。 最高学府を出た人たちをひれ伏させることに彼は喜びを感じるわけです。 そしてもう一つは、権力へのコンプレックスです。彼は57年の参院補選で選挙違反で逮捕(大阪事件)されたわけですが、この時に権力の恐ろしさを学び、復讐を誓い、それが今の行動につながっているのだと思います」 こうして独裁者となった池田は、折々にこんな発言を残すようになる。 「勝つか負けるか。やられたらやりかえせ。世間などなんだ。私は恐れなど微塵もない。勇者は私だ。(中略)反逆者には『この野郎、馬鹿野郎』でいいんだ」 (埼玉指導 89年3月12日) 「師である私が迫害を受けている。仇を討て。言われたら言い返す。打ち返す。切り返す。叫ばなければ負けである。戸田先生も、牧口先生の仇をとると立ち上がった。私も戸田先生の仇を取るために立った。私の仇を討つのは、創価同窓の諸君だ」 (96年11月3日 『創価同窓の集い』にて) その言葉の激しさには、やはり驚嘆させられる。創価学会が持つ、敵対者への激しい憎悪や復讐心は、彼の屈折した半生から出てきたものと思わざるをえないのだ。 http://www.asyura2.com/0505/cult2/msg/532.html

画像

8人がナイス!しています

その他の回答(2件)

3

金を稼いでる在日朝鮮人の弱みを探ってたんだよ。

3人がナイス!しています