足利義昭が織田信長と対立しなければ、織田信長と武田信玄は対立関係にはならなかったんでしょうか?

足利義昭が織田信長と対立しなければ、織田信長と武田信玄は対立関係にはならなかったんでしょうか? 直接対立はしてないものの、徳川領に武田信玄が侵攻する機運が高まった頃に、織田信長は仲裁する書状を武田信玄に送っているものの、武田信玄は聞く気はないと言わんばかりの返書を大分遅れて織田信長に出してます。 https://www.google.com/amp/s/www.yomiuri.co.jp/culture/20200113-OYT1T50007/amp/

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織田信長は恐らく 「もうこれ以上領土を増やさなくていいや。現状維持でいいや。」 とは考えていなかったでしょうから、 遅かれ早かれ武田信玄とぶつかっていたはずです。 足利義昭との対立があろうがなかろうが、です。 足利義昭が信長に協力して「武田、信長に降伏せよ。」とか命令してそれが実現するのであれば別でしょうが、 まあ、そんなはずありませんし。 ただし、信長は「武田は後回し」ということは考えていたようです。 まずは倒しやすい浅井や朝倉を潰し、伊勢を固め、弱体化した今川を徳川に任せ、そうやって勢力を広げて固めてから、 実力をつけてから武田と対峙するつもりだったと思われます。 というのも、 武田とは縁組をしたり、非常にへりくだった態度で信玄に贈り物をしたりしていたからです。 もちろん、尊敬しているとか家来になりたいと願っているとかではなくて、 やっかいな相手だから、ぶん殴る準備ができるまではペコペコしておこう、というだけでしょう。 いずれ力をつけてぶん殴る準備ができたら、フルボッコにするつもりでいたはずです。時間の問題だったでしょう。

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>足利義昭が織田信長と対立しなければ、織田信長と武田信玄は対立関係にはならなかったんでしょうか? それは関係無い。 信玄にとって、信長の存在が領土拡張にとって邪魔になるか、助けになるか、基準はそれだけ。 信玄が今川領を蚕食しているときには、徳川との協力が必要で、当然徳川の背後にいる信長とも良い関係である必要がある。しかし、徳川領と直接対峙するようになると、信長も邪魔になる。しかし関東や越後との関係が悪化すれば、信長との関係をよくする必要が出てくる。 だから信長とは関係悪化したり改善したりの繰り返し。義昭は関係ない。

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それは因果が逆ですね。 足利義昭は武田信玄がいわゆる西上作戦を始めた時点においても信長と協同していました。徳川家康に対して信玄討伐の御内書を出していますから。 反信長に転ずるのは三方原合戦で負けて、身の危険を感じるようになってからです。反信長の諸大名に御内書を発給するようになるのも元亀4年に入ってからです。 このあたりの史料の年代比定は近年の研究で修正されており、足利義昭と織田信長は協調的だったと解釈が変わってきているところです。

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足利義昭の存在は、あくまで信玄側の口実で、 実態は遠江で徳川氏と衝突している上に、 東美濃の領有権争いが生じているから、 織田家と武田家の対決は、不可避だったと思います。 信長としては、とにかく対決を先延ばしして、 畿内での自己勢力を安定させることを、優先したかったのでしょう。