高校世界史の質問です。

高校世界史の質問です。 1912年の1月に、孫文が臨時大総統に推され南京で中華民国が成立していますが、それとほぼ同時期に、北京で北洋艦隊の袁世凱が宣統帝溥儀を退位させて清朝を滅亡させて、臨時大総統に就任していますが、これは北京と南京の政府が合流して、袁世凱を首班とする中華民国が北京に成立するまで、臨時大総統は、袁世凱と孫文の2人いたということですか?

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ベストアンサー

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違います。 1912年の1月に中華民国臨時政府が出来て、孫文が臨時大総統になった、というのは合ってます。 次の宣統帝溥儀の退位ですが、それは2月です。 その時点まで辛亥革命派起きていましたが清朝そのものは存在していました。祖の清朝で軍を牛耳っていた最後の実力者が袁世凱です。 没落したとはいえ、清朝は革命派にとってはまだまだ手ごわい相手でした。そこで孫文ら革命派は袁世凱と密約して、皇帝の退位と清朝の解体、そして孫文の臨時大総統の地位を譲る。という内容で妥協しました。 だから宣統帝溥儀の退位とともに民国の臨時大総統の座は孫文から袁世凱に移ったことになります。 しかし袁世凱はすぐに反動化していきます。

ThanksImg質問者からのお礼コメント

そうだったんですね!間違えて覚えるところだったので助かりました!とても分かりやすい説明です!ありがとうございます!

お礼日時:9/20 23:42