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2020/9/24 12:43

66回答

キリスト教の信者ではない人がミサに参加すると、神父や牧師に「この中にひとり、洗礼を受けていない人がいる・・・お前やろ!」と指差されますか?

キリスト教の信者ではない人がミサに参加すると、神父や牧師に「この中にひとり、洗礼を受けていない人がいる・・・お前やろ!」と指差されますか?

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ベストアンサー

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少なくとも、信者以外の人が追い出される時代が存在したことは確かです。 質問者様は、「神父や牧師」と書いておられますが、プロテスタントの牧師の世界にそういうものはありません。ミサは神父だけが執り行うことができます。 現在正教で普通に行われている聖金口イオアンの聖体礼儀では、ご聖体になるパンと葡萄酒を聖職者が奉献台から宝座に移し替える前に、 「啓蒙者出でよ 衆啓蒙者出でよ 啓蒙者出でよ ・・・啓蒙者一人もなく我らまたまた安和にして主に祈らん」 という場面があります。いま、現実に人々が追い出される様子を見たことは私自身はありませんが、少なくともそのときに四方の扉がバーンと閉められ、他の人が入れないようにします。 啓蒙者というのは信者になるために勉強中の人です。 なぜこういうことがあるのか。 自分が司祭さんから受けた説明は、要するにセキュリティ上の問題だったということ。正教などでは、古くはバアルなどの異教、アリウス派のような異端者、そして中世ではイスラムのような、キリスト教を貶めようとする外敵がいる中で教会を守らなければなりませんでした。もっともそういう狼藉を働くのは異教徒だけではなく、カトリックの十字軍のようなものもあったわけですが。 彼らが教会の聖なるものを棄損したり破壊したりする行為は実際にありえたのです。 ただ、私自身はセキュリティ上の問題だけではなかったと思います。 なにかというと・・・ なかなか理解してもらえないでしょうが、キリスト教というのは当たり前の真実なのです。その当たり前の真実を当たり前と認識すること自体が、実に難しい。そのために、ヒエラルキーがあります。 もしあなたがほかの宗教でとても精進しておられる方なら、ご理解いただけると思います。つまり、秀でた坊さんが「青い山は常に歩いている」と言っても、一般の人は何を言っているのかさっぱりわからないでしょう?ですが、これはわかる人には真実を表す言葉なのです。そういう厳しい修行を耐え抜いた方だけが集まる僧侶の集まりで特別の何かが行われたとしても一般の人には恐らく理解できない。 キリスト教でもそういうことがあって、ある心境の方でなければ、ある一定の場所、ある一定の儀式には参列できないという仕組みが作られているのです。 具体的に言うと、ミサ・聖体礼儀の形式だけではなく、聖堂の形式でもそれがあります。啓蒙所、聖所、至聖所があり、啓蒙所は未信者が入れますが、聖所には信者以外の人が入ることができず、さらに至聖所には聖職者しか入ることができません。 今は、未信者がミサ・聖体礼儀に参加しているからと言って、追い出されることはまずありません。キリスト教に対してそういう狼藉を行う人も少なくなり、一方で人々がキリスト教に慣れすぎてその神秘を忘れてしまっているからだと思います。

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その他の回答(5件)

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例えば、何の為に指摘をすると考えてます? 不要なら、指摘はしないと思いますが?

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そんなことをするキリスト教の教会の神父や牧師は いない・・・と私は思います。

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