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2020/9/25 21:32

77回答

地球の全ての宗教は無駄の一言

地球の全ての宗教は無駄の一言 キリスト教 無駄 仏教 無駄 神道 無駄 イスラム教 無駄 ヒンドュウ教 無駄 その他の宗教 無駄 一部まともな人間もいるけど ほとんどの地球人って変だよね 自分たちで格差作って争って なんだか奴隷そのものだよね

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ベストアンサー

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2020/9/27 22:27

僕はうんこである♥

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その他の回答(6件)

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無駄な宗教はないよね 現世では間違って救われないけど、多少の徳には成るから その積み重ねで本物を授かって裟婆世界を抜け出す方法が仏教の真髄だから

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質問者

2020/9/26 3:20

残念だが輪廻転生を信じてるなら輪廻転生はないと思った方がいいよ 死んだら地獄や天国も実際はないんだよね、とか言ったらあんたはムキになるだろうね 魂の存在すらあんたは知らないんだもね じゃあ仕方ないよね

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<現実の世界>では、 犯罪における事実や犯人の確定には、多大な努力を必要とし、 それでも必ずしも真相が明らかになるわけではありません (つまり、現実は中々自分の思うようにいかない)が、 現実の世界から逃避し<空想の世界>で生きる人にとっては、 小さな子どもにも出きる、しり取りゲーム程度の連想だけで、 いとも簡単に、事実や犯人のアイデンティティーの決定が なされています。 一体どうしてこんなことになってしまったのでしょうか。 おそらく、現実世界が自分の思うままにならぬことに どうにも我慢がならないという心理的限界状況が起こり、 その瞬間、現実世界との折り合いを付ける能力(自我)が 崩壊し、それ以後、快楽原理の衝動(エス)が 全ての言動を支配するようになったと思われます。 そして、自我は、現実の世界との交渉を断ち、内向きに、 自らの内側の快楽原理(エス)の命令にしか 耳を傾けなくなり、現実世界について、快楽原理(エス)が 喜ぶような作り話 (たとえば、「敵(悪)は近い将来滅ぼされる」 「私は選ばれて救われる」「私が救い主だ」といった作り話) しか報告できなくなってしまったのだ、と考えられます。 宗教の信者が望んでいるのは、 他の人々もその宗教の信者になることです。 もし、わたしやその他の人々がその宗教の信者になれば、 自分の周りを同じ空想を信じる者同志で塗り固めた、 小さな疑似現実の世界が出来上がり、 自分の空想が空想であることに気がつかない 錯覚の世界がつくりあげられ、 心の底では自分が嘘をついていることを知っている 自我の安定が保たれるからです。 これこそが、 おそらく、全ての宗教の存在理由だと考えられます。 彼らは、「あなたの言う嘘はみんな真理です」と報告する イエスマン(信者)だけで、 自分の周りを固めてしまったからです。 「こちら側が殺されても相手は絶対殺さない、 愛と智恵のみで世界の戦争を終わらせる」 -- これこそが、外的な現実世界との交渉を絶ち、 自らをその唯一の支配の下に置いている、 内的快楽原理(エス=理想主義)の衝動なのです。 外的な現実世界との交渉を断ってしまっているために、 内的快楽原理(エス=理想主義)だけが 「私の現実にいる世界」になってしまっているのです。 それは、家庭の経済事情(外的現実世界)も知らず、 自分の欲しいおもちゃ(内的快楽原理=理想主義)を 買ってもらうために、地べたに転んで手足をジタバタさせて ぐずっている子どもと同じ心理的状況なのです。 子どもは誰でもそのような経験をするのですが、 大抵の子どもは、成長するに連れて、やがて 家庭の経済事情(外的現実世界は 自分の思いどおりにはならないのだということ)に 理解を示すようになります。 しかし、時には、自分の快楽原理の衝動を充たしてくれない 現実世界そのものに対する拒絶反応を起こし、 自己を現実世界から遮断してしまう場合もあるのです。 「平和とは暴力が存在しないことだ」という 理想主義(快楽原理)だけが教え込まれる 現代の日本風土が生んだ、現代日本独特の精神の病 なのかもしれません。 平和が<抑制された暴力>によって維持されている という現実が全く見えないのです。 哲学(真実を知るための努力)を 幸福になるための道具と考えるところに 幸福至上主義が明らかとなります。 哲学(真実を知るための努力)をするということは、 幸福至上主義を捨てるということです。 真実(家庭の経済事情、ガンの告知、不合格の通知、 人間の能力の限界)を知るということは、 しばしば人を不幸にするからです。 幸福になれさえすればよい、救われることが価値である、 全ては死後の世界の幸福(天国に行くことなど)のためにある --これこそが、おそらく諸悪の根源だと思われます。 「自分は幸福にならなければならない」 「自分は救われなければならない」 「自分は死後、天国で永遠に幸せに暮らさなければならない」 というプレッシャーが多くの人々を病気にしているのです。 現実世界は 必ずしも人々を幸福にするようにはなっていないからです。 なぜ、不幸であってはいけないのですか。 不幸のどこが悪いのですか。 幸福な人の方が不幸な人より価値がある と思っているのですか。むしろ逆ではないですか。 幸福な人は満足して何もしないので、 世間の人の何の役にも立たず(無価値であり)、 不幸な人は満足していないので新しい価値を創造する、 よって世間の人の役に立つ(価値がある) --- というのが、事実ではありませんか。 たとえ不幸になるとしても真実を凝視しようとするのは、 何が何でも幸福になろうとするより、 優れた(高貴な)選択ではないですか。 「自分は幸福にならなければならない」 「自分は救われなければならない」 「自分は死後、天国で永遠に幸せに暮らさなければならない」 という周りが押し付ける義務感を捨てて、 自分は不幸になってもよいと断念すれば、 やりたいことが出きるようになるのです。自由になるのです。

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質問者

2020/9/26 2:39

すげー長いな文章 それにびっくりしたわ

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「この質問こそ無駄」って言ってほしいのか?

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質問者

2020/9/25 23:09

あんた宗教大好きなんだな

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それってあなたの考えですよね?

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質問者

2020/9/25 22:24

さあ誰の考えだろうね?もしあんたが覚醒してるなら誰だかわかるはずだよね

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それが、人に生まれつき罪がある証拠です。

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質問者

2020/9/25 22:09

出たな 奴隷 目を覚ませと言いたいがどうでもいいや