本家が真言宗豊山派の、お寺で明治4年から代々、院号居士、院号清居士です

本家が真言宗豊山派の、お寺で明治4年から代々、院号居士、院号清居士です 江戸時代の、お墓は書いてある文字が消えてしまってるので、分かりませんが多分は江戸時代も院号居士なのかと思います 元本家のうちは、ほとんど信士です 明治中期までは、豪農か士分以外の人は院号居士は、政府から許可されないみたいですが、明治も身分は関係あったのですか? うちは本家、分家ともに名主でもない郷士で、厳密には士分ではないです

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ベストアンサー

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戒名の位号について、江戸時代に士分以外に居士号をつけることを規制した例もありますが、これは絶対的なものではありません (明治政府は関係ありません) 実際は士分以外でも居士号が授与されている例はいくらでもあります それに規制が出たということは、逆にいえば士分以外でも居士号の授与があったということです (だいたい江戸時代の法律なんて、現代のようなものではなく、前例主義・人知主義的なものであり、建前重視でいくらでも抜け道はあります) そもそも葬送儀礼は地域差が大きいので「○○時代はこうだった」などと断言は出来ません あくまでも「この時期で、この地域の、この村の○○寺の檀家はこうだった」というものです 「○○時代の葬儀は全国一律でこうだった」などと、画一的に考えること自体が間違いなんです

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ThanksImg質問者からのお礼コメント

ありがとうございます

お礼日時:9/29 9:43