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2020/10/18 21:23

55回答

麒麟がくる

日本史 | ドラマ333閲覧

回答(5件)

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着工してから2ヵ月たらずで、義昭は転居できたようです。 安全のために造り始めたのですし、ひと段落したところで転居してもらったのかもしれません。内装や庭園も立派だったようですが、それらは後回しにしても居住は可能です。 なにやら本圀寺の建物を一部うつしたとも聞きます。戦で荒らされたから、そのままにもしておけなかったのでしょう。そうして木材や石材の一部を現地調達したことも短縮要因になりそうです。 細川屋敷から移した庭石などもあったそうで、他にも主のいなくなった邸宅をぶっ壊しているかもしれません。 なお、将軍御所といえども京市街につくれる規模には限度はあります。

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約400メートル四方の敷地に2重の堀や3重の天守閣を備える城でした。 約70日で造られたとされて「石くら」という記述があります、この「石くら」とは石垣を積むことで日本で初めて石垣が積まれた城であったとされています。 またドラマにもあった仏像の他にも墓石も使用されていました。

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二条城とよばれるものは四つくらいあるのですが、信長がたてた二条城ですね。まあ2ヶ月といったならそうなんでしょう。たぶん、それなりの規模のやっつけ仕事なのでしょう。 今みんなが二条城と呼んでいるのは家康が1603年頃建てたもので二年以上かかっています。

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義昭が住んだ二条城は現存する二条城とは全くの別物です。 城というより将軍御所を若干防御を強化した館に近いです。

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築城当時、日本における布教活動をしていたポルトガルの宣教師ルイス=フロイスの記録によれば、旧二条城というのは現在の二条城以前に、永禄十二年(一五六九)二月に工事を開始し、常時一万五千人から二万五千人の人役を投入し七十日間程でほぼ全容を整えたということであり、期間を極めて短くするために石垣の石材に近郷の石仏・板碑・燈籠等を収集し、積み込んだと記載されているが、そのとおりの石仏などがこの遺構に見られる。 とあります。 ドラマでいう二条城は旧二条城になります。

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