うひょひょのサムです 1973のムラヴィンスキーの来日公演見ましたか? サムは中学3年、TVで見て録音しました。

うひょひょのサムです 1973のムラヴィンスキーの来日公演見ましたか? サムは中学3年、TVで見て録音しました。 ショスタコーヴィチ: 交響曲 第5番 ニ短調 Op.47 ムラヴィンスキー 1973 東京 https://youtu.be/q6-2j9M_R84?t=2

クラシック | オーディオ52閲覧xmlns="http://www.w3.org/2000/svg">100

ベストアンサー

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1973年当時といえば、私は1浪で入った大学の2年生で、たしかにこのTVを見ました。後年CDになったのを買って持っています。 おぼえていることは、第1楽章の中間あたりでテンポが速くなるところでどんどん速くなって再現部に突入していったこと。 また特に第4楽章のコーダの部分で、当時私が持っていたバーンスタイン指揮ニューヨークフィルのLPの演奏ではだんだん速くなって派手に終わるのに、ムラヴィンスキーの演奏では、落ち着いたテンポのままずーっと最後まで行くのです。最後のあたりはもう茫々とした感じになって行きます。でもそうすると、あのずーっと続くバイオリンの高音の8分音符の刻みが、まるで広いシベリアの大地の地平線を表しているような感じがしました。 これについては後にレコ芸誌(1998年)でこんな記事を見つけました。 バーンスタインの頃の西欧諸国で手に入るこの曲のスコアでは、4楽章のコーダのこのあたりは「四分音符=188」という滅茶苦茶速いテンポが印刷されていたそうですが、 この曲の初演者であるムラヴィンスキーの使っているスコアでは「四分音符=88」なのだそうです。これが正しいらしいのだけれど最近になっても直されていないスコアが多いらしい。 詳しくは↓のwikipediaの記事の「第4楽章のテンポ」の項をご覧下さい。 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%A4%E9%9F%BF%E6%9B%B2%E7%AC%AC5%E7%95%AA_(%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%82%B3%E3%83%BC%E3%83%B4%E3%82%A3%E3%83%81)#%E7%AC%AC4%E6%A5%BD%E7%AB%A0%E3%81%AE%E3%83%86%E3%83%B3%E3%83%9D

上のレコ芸誌の記事だと、音楽評論家の金子建志氏はムラヴィンスキーの奥さんに直接会って、このスコアを見せてもらったと書いてあったと思います。

ThanksImg質問者からのお礼コメント

あざっす!

お礼日時:10/27 1:05

その他の回答(4件)

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川上弘美 1958年4月1日生まれ 4月1日うまれは早生まれなので サムと同じ学年 東京都に生れる。5歳から7歳までをアメリカ合衆国で過ごす。小学3年生のときに1学期間を休む病気にかかり、このときに家で児童文学を読み始めたことから読書家になる。雙葉中学校・高等学校を卒業後、お茶の水女子大学理学部生物学科に入学し、SF研究会に所属、のちの漫画家湯田伸子がメンバーにいた。 1980年、大学在学中に山野浩一発行・山田和子編集のニュー・ウェーブSF雑誌『季刊NW-SF』第15号にて、「小川項」名義の短編「累累」を掲載。次号第16号で旧姓「山田弘美」名義の短編「双翅目」を発表、また「女は自ら女を語る」という座談会にも編集者として加わっていた。 1980年に大学を卒業し、NW-SF社で働くが1982年『季刊NW-SF』が第18号で休刊。そのため、同1982年に田園調布雙葉中学校・高等学校で生物の教員となる。1986年までの4年間を勤め、退職。結婚・出産ののち主婦を経て、1994年に「神様」でパソコン通信を利用したASAHIネット主催の第1回パスカル短篇文学新人賞を受賞。この回の選考委員は、井上ひさし、小林恭二、筒井康隆。なお、2009年に離婚している。 次いで1995年に「婆」が第113回芥川龍之介賞候補作品となり、翌1996年に「蛇を踏む」で第115回芥川龍之介賞を受賞。1999年、『神様』で第9回紫式部文学賞、第9回Bunkamuraドゥマゴ文学賞(審査員久世光彦)。2000年、『溺レる』で第11回伊藤整文学賞、第39回女流文学賞を受賞。 2001年に第37回谷崎潤一郎賞を受賞した『センセイの鞄』では、中年女性と初老の男性との淡い恋愛を描きベストセラーとなった。同作品はWOWOWのオリジナルドラマ制作プロジェクト「ドラマW」により、久世光彦監督の演出、小泉今日子・柄本明の共演でテレビドラマ化されている[1]。2007年、『真鶴(まなづる)』で芸術選奨文部科学大臣賞を受賞。 2013年発表の2012年マン・アジア文学賞(Man Asian Literary Prize)において『センセイの鞄』の英訳(The Briefcase)が、ノーベル文学賞受賞者のオルハン・パムクのSilent Houseなど4作品と共に最終候補に残ったが、受賞は逃した。[1][2] 2007年の第137回芥川賞選考会から、選考委員として参加。2015年現在は谷崎潤一郎賞と三島由紀夫賞の選考委員も務めている。 2015年、「水声」で第66回読売文学賞を受賞。2016年、「大きな鳥にさらわれないよう」で第44回泉鏡花文学賞を受賞。 2019年、紫綬褒章受章[3]。

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このときの来日公演のなかでは、ベートーヴェンの4番の4楽章が、とてつもない速さでびっくりしたのを一番覚えています