徳川慶喜は大政奉還を江戸城では無く二条城で行ったのは一体何故でしょうか。

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お礼日時:10/27 6:37

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すでに、朝廷から、幕府追悼の勅令が出る予定てしたので、それをかわして、勅令を反故にするには、早急に大政奉還をしなくてはなりません。 京都に滞在していた慶喜が、なんで、時間をかけて江戸まで帰ってくるのですか。すぐにやらないと、朝廷から勅令が出て、追討軍が攻めてきます。 朝敵にだけは、慶喜はなりたくなかったのですよ。

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大政奉還、将軍辞任の奉書は朝廷に対してなので、京都。 二条城は大名とその代理に対して板倉老中が説明した。 直接話したのは小松帯刀と後藤象二郎だけ。

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当時、政局は京都に移ってました。朝廷に上洛を命じられ長州征伐の事もあり第14代将軍家茂は京都で亡くなり、そのまま慶喜は第15代将軍になりました。 そこで大政奉還しましたので、慶喜は江戸では将軍ではありません。

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当時はずっと京都にいたからです。 なぜ京都にいたかといえば、幕府は朝廷に相談しないと政治を進められなくなり、慶喜を含めた何人かの有力大名の会議が、現代の内閣に相当する役割を果たすようになったので、京都にいたほうが何かと便利だったからです。 ついでに言うと、幕末の何年かは参勤交代もやめてしまったので、大名が江戸に参内しなくなっていました。新選組がおもに活躍した舞台が京都なのも、当時は一時的に政治の中心が京都に移っており、全国の志士が集まっていたからです。

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