もし明智光秀が本能寺の変を起こさず、織田信長が天下統一を成し遂げていたら、その後の日本はどうなっていたと思いますか?

日本史 | 歴史440閲覧

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織田信長は天下統一を成し遂げたならば、全てを嫡男:信忠に譲ったことでしょう。 問題は、イエズス会との関係です。 蜜月は終わっていたと言われていますから、その勢力を畿内から遠ざけたことでしょう。 キリシタン大名は九州にやられ、もしかしたらイエズス会とともに国外追放にしたかもしれません。 信長という男は軍事支援だけで、イエズス会と結びついていましたからね!

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「三職推任」の史料は二つあります。 それは、公家:勧修寺晴豊の日記『日々記』と誠仁親王が信長に宛てて出した書状(『畠山記念館所蔵文書』)です。 そして、その期間は天正十(1582)年四月二十一日から五月十一日の間(二十日間)でした。 『信長公記』の空白期間です。 四月二十一日、晴豊は天皇の勅使として安土に下向することを命じられ、翌二十二日に安土に向かい、二十三日の早朝安土に着いています。 松井友閑の屋敷で親王に対する信長の返事を受け取りました。 そして、守山に行き、翌二十四日早朝に出発、京都に戻って誠仁親王の御所に参上。 翌二十五日、村井貞勝の所へ行くと、貞勝が「安土へ女房衆を下向させ、信長様を太政大臣か関白か将軍にご推認されるのがよろしかろう」と言いました。 その事は天皇に報告されました。 五月四日、御乱(森蘭丸)を介して天皇・親王からの御書を進上しました。

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信長から京都所司代に任ぜられた「村井貞勝」という人物が、信長が本能寺の変により倒される1ヶ月前の天正10年(1582年)5月に、朝廷(天皇)の意向である「信長を太政大臣・関白・征夷大将軍のいずれかに任じたい」ということを信長に伝えた。という逸話があります。 これは「三職推任問題」とも呼ばれ、信長からの正式な回答が判明する前に本能寺の変が起こってしまったため、信長自身がどのような構想を持っていたのかは永遠の謎になってしまいました。 太政大臣・関白・征夷大将軍のいずれか? あるいは無官のままか? それとも「天皇よりも上を目指した?」など、官位の問題だけではなく、その後の信長が執ったであろう動きにも、さまざまな見解があります。 その後の国内の政治や宗教政策、あるいは外交や貿易にも影響を及ぼすことですが、NHK大河ドラマ「麒麟がくる」でこの問題をどうとらえるのか、今から楽しみですね。

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都は京都で国民性はかわらず。 貿易で武器を輸入し軍事力で独裁者。 光秀でなくても いつかは誰かの恨みを買って 寝首かかれたかもしれません。 秀吉は心酔してたみたいだから信長派としても 信長の癇癪次第で秀吉も粛清対象になったかもしれないし。

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