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摂津晴門は、麒麟がくるに出てくるような、腹黒い悪者的な人だったのですか? それとも、ドラマで、かなり脚色されているのでしょうか?

ドラマ | 日本史565閲覧

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回答(6件)

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我々はどちらのサイドから、正邪の判断をしている でしょうか。 ドラマの光秀や織田信長のサイドから の立場で見ています。 旧勢力摂津晴門は信長にとって、やっかいな旧勢力 です。 晴門から見たら、信長は成り上がり者です。 悪役を演じている 鶴太郎さんの演技を評価しましょ う。寺社の所領を召し上げて、 「世の中の仕組みを教えてやったのに、分からん奴だ」と光秀 を批判します。極悪人の捨てセリフに聞こえましたか。そう言う 理屈もあっても良いと思います。 結局、義昭は将軍再興を理想 としている。信長は 功績はあるが、義昭から見て信長は管領の 筆頭く らいに考えている。だが信長は管領職を辞退する。 これ は史実です。信長サイドから見たら、義昭を 将軍にしたのは 信長ですが、義昭を通じて、全国 の大名に号令する狙いで上洛 した。全国の大名の 中で、その後信長が一番勢力を伸ばすのです が、 京都に上洛した時点では、武田信玄や上杉謙信、 北条の方 が大先輩でしょう。毛利だってそうです。 信長は新参者です。 当面、朝倉が信長の前に現れ 、反信長包囲網の最大の勢力になっ てくる。 これも歴史の事実です。 10月25日放送では、旧二 条城はやっつけ仕事 だとは言いながら、2ケ月余で完成させた 信長の 経済力と実行力は目を見張る。信長はみずから指揮したと 言われています。ドラマでは信長が直接指揮する姿は描かれてい なかったが。城だけ造っても、中身が・・と光秀は信長に言う。 「それを やるのは、光秀おまえの仕事だろう」と言った言葉には 感動しました。この頃から史実でも光秀は信長の配下として、 有能な部下として働くようになる。 光秀こそ、旧勢力でなく新参 者です、優秀な能力 と武勇も兼ねた新人です。 このドラマは、 その辺の時代の雰囲気をうまく表現して、視聴者に伝えていると 思いました。 摂津晴門はドラマでは悪人と表現されていますが、 要するに旧勢力と新興勢力の対立です。 米国でトランプとバイデンが戦っていますが、 どちらが悪だ、 米のマスコミはトランプが悪 だと言っていますが、果たして トランプは 悪人か? と言う問題と似ています。

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実際どうだったのかどうかわかる由もありませんが、史料上での出番が少なければ多少の悪事は被ってもらおうという制作側の考えはあるかと思います。

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足利一門にとっては物凄い忠臣ではないでしょうか。 足利義昭にとるにたらぬ理由で左遷され政所執事の立場を追われてもなお、かいがいしく義昭に仕えていたような人物なんですけどね。 足利将軍に忠勤を貫くことが京の人々や天下の諸侯にとって意義のある事かどうかはさておいて。 政所を牛耳り自家の権益しか考慮しない伊勢氏や将軍や管領をないがしろにして本国と畿内の連携と勢力拡大しか眼目にない三好氏をはじめとした織田に六角に畠山らの戦国大名連中らに比べたらよほど誠実で一途ですよ。 それに、一応は幕臣であるにもかかわらず足利と織田とを両天秤にかけて織田側に靡いた細川藤孝や明智光秀なんぞは表裏比興のキング屑オブクズ屑ですよ。大河の主役だから大正義っぽく描かれているだけで。 摂津晴門に政所執事の職を奪われる形となった伊勢氏は光秀と昵懇になって閨閥関係になり京都の行政を共に取り仕切っていくような立場ですので、必要以上に晴門を悪く書かねばならなかったのでしょうね、鶴太郎を役にあてがったりなんかして。 (ちなみに、伊勢氏の惣領貞興は光秀の重臣となり、本能寺の時は2千の手勢で二条城の信忠を派手にぶち殺し、山崎では派手に突撃して派手に死にます)

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記録で、ほんの数件、足利幕臣として 名が記されている程度で何やらかした 人物か、ほとんど分からないようで ドラマで登場のは大盛てんこ盛り 、と思ってよいでしょう。

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摂津晴門は足利義昭時代には老齢で経験豊富な忠臣であり、義輝代に出世して政所頭人となったとされています。一応台詞で説明しているものの、いきなり現れたよく分からない奴が政所頭人という要職に就任したイメージを受けますね。さまざま陰謀を巡らしているように描かれていますが、明らかにドラマの脚色です。 晴門が就任した政所頭人は幕府の財政と訴訟を管轄し、室町幕府の有力家臣伊勢氏が就いていましたが、貞孝の代に足利義輝・三好政権と六角氏の戦闘時に六角方と結んだことから将軍と対立。貞孝は細川晴元旧臣や将軍側近の一部と共に謀反を企てて敗れて戦死しました。晴門はその間に政所頭人に就任したとされます(高梨真行「永禄政変後の室町幕府政所と摂津晴門・伊勢貞興の動向」、『シリーズ室町幕府の研究 足利義輝』所収)。 晴門は足利義昭の将軍就任でいきなり出てきた出頭人のような感じですが、彼は諱から義晴時代には将軍のそばに仕えており、義輝時代の幕府混乱期に頭角を現した人物とみまれます。義輝の乳人が晴門の父の養女であり、晴門の子糸千代丸も義輝のそば近くに仕えて義輝と共に討ち死にしています。 伊勢氏が180年にわたり占有してきた政所頭人職に就くので当然反発はあったでしょう(伊勢貞孝らの謀反も晴門の政所頭人就任と関わりがある可能性があります)し、伊勢氏の収入にあった訴訟の礼銭、寺社・公家からの贈答、政所御料所からの年貢があったので、これらを手にしたのは描き方によっては悪く描けますが、大きな領地を持たず在京して幕府に尽力する政所頭人の家産はシステムとしてこのようにまかなわれていただけでしょう。 晴門は義輝死後も在京したものの三好三人衆には与せず、義昭が越前に向かうと同行します。義昭と対立した義栄も将軍就任に当たり晴門を奏者としようとしましたが晴門は受けませんでした。晴門は永禄12(1569)年ごろまで訴訟関係の文書を発給しており、その後は義昭の下に復帰した伊勢氏に頭人が戻ったようです。40年前に従五位下に叙されていた晴門は既に老齢で、この頃死去したのでしょう。一代のみの政所頭人は、摂津氏ではなく義輝・義昭の晴門個人への信頼の表れでしょう。

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いろいろ調べたら、元亀2年に摂津晴門が伊勢神宮禰宜の後継を巡る訴訟の過程で失脚したとする史料があるようです(久野雅司『足利義昭と織田信長』、『言継卿記』)。慣例の手続きを踏まなかったことで、義昭に責任を取らされたようです。悪人というより一代の頭人なので故実の蓄積が摂津氏になかったのでしょう。政所頭人は伊勢氏に戻りましたが、翌年に晴門も朝廷への使者を務めるなど義昭の下で重要な役割を担い、それを最後に活動が見えなくなります。 問題になっていた東寺八幡宮領は、光秀が幕府から支配権を認められたのだと言い張って、自領のようにしている点が問題視されており(『東寺百合文書』)、それが摂津の陰謀とするのはドラマの創作です。光秀は後にも信長から与えられたとして寺社領を押領して訴えられ、足利義昭を激怒させています。摂津悪人化はこうした光秀の「悪行」を正当化するためでしょう。