回答受付が終了しました

ID非公開

2020/10/26 12:42

55回答

三国時代、魏は400万人の人口しかいませんでしたが、赤壁の戦いでは100万人動員していました。四人に一人です。こんなに徴兵して国は成り立つのですか?

中国史92閲覧

1人が共感しています

回答(5件)

1

歴史の本やテレビで赤壁の戦いを紹介したのを見ましたが、その中で一番大衆的で大げさメディアといってもよさそうなテレビの番組では、曹操軍15万と言ってました。 また戦争で、数を誇張するのは、味方の士気を上げたり、敵の士気を落としたりするので、ある意味立派な戦略なので、仕方がない事だと思います。

1人がナイス!しています

1

中国史には100万人と号する大軍という言葉がよく出てきますが、これは日本の八百万の神々と同じような意味合いです。要は「とにかくたくさんいるよ」ということで実際に100万人いるわけではありません。

1人がナイス!しています

0

まず演義はフィクションです。 現代日本なら大河ドラマのようなもの。 また、三国時代は長い中国史の中でも人口が大激減した時代としても知られていますが、この人口の大激減については注意が必要です。 人口推計は政府の徴税記録に基づいていますが、徴税記録からわかるのは実人口ではなくて政府が徴税可能だった戸数です。(これを基に推計) 後漢は地方豪族が育った時代ですが、後漢末の混乱によって後漢政府が事実上立ち枯れのように機能しなくなり、それに乗じて豪族が私有民を囲い込見ました。 ですから政府が把握できる人口は減った、しかし豪族は私有民・私兵を溜め込んだので実人口とは乖離が大幅にあったと見た方がいいでしょう。 曹操や劉備などに投じた人材の多くは私兵を持っている豪族だったりします。 これらの私民を政府に登録にできなかったのは、豪族自身が政権側にいたからです。 だから三国時代はどこも直轄の兵団作りに苦慮し、魏は北方異民族の移住、蜀は諸葛亮が南方内陸部の異民族に協力を求め、呉は南方沿岸部にいわば人狩りツアーを行ったわけです。 これら豪族は南北朝時代になると貴族化していき、皇帝の廃立にも関わるようになります。

ID非公開

質問者

2020/10/26 17:57

えー、もしかして、関羽の関所破りもフィクション何ですか?

0

曹操軍100万人は三国志演義の記述です。 三国志演義は明代に書かれた書物で、国の規模も明と同じくらいだったように思わせる書き方です。 明初の人口は8000万人だったので、実際の曹操軍は5万人もいなかったのではないでしょうか。

ID非公開

質問者

2020/10/26 15:40

えー、そうなんですか?演義はフィクション何ですか?もしかして、桃園の誓いもフィクション何ですか?

0

まず、赤壁の戦いは三国時代ではなく、後漢時代の末期にあたるので、魏国は存在していないです。そして、曹操は魏国を建国する前は、後漢王朝の丞相というポジションでした。赤壁の戦いはその頃の出来事です。 赤壁の戦いでの曹操軍の戦力は、25万人だったと思います。