史実では、大韓帝国が日本に併合(日韓併合)されましたが、もし大韓帝国が日本ではなく、中国やソ連に併合されていたり、どの国にも併合されていなかったら、どうなっていたと思いますか。

史実では、大韓帝国が日本に併合(日韓併合)されましたが、もし大韓帝国が日本ではなく、中国やソ連に併合されていたり、どの国にも併合されていなかったら、どうなっていたと思いますか。 ①1912年、辛亥革命で中華民国が成立し、翌年、大韓帝国を併合(中韓併合)した場合 ②1917年、ロシア革命が起き、ソビエト連邦が成立、その後5年に渡るロシア内戦を経て、ソ連は大韓帝国を併合(ソ韓併合)した場合 ③どの国にも併合されなかった場合

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①桂内閣の下中華民国政府に対し「大韓帝国の主権侵害である」として宣戦布告 → 日中戦争(日本=中華民国戦争) → 奉天条約(1913)により朝鮮半島の大半を日本領に ⇒ タフト米大統領はドル外交に朝鮮を組み込み、日本へ投資 ⇒日本国内は企業勃興が進み繁栄を極める ⇒ ウィルソン米大統領は日本に「朝鮮の主権侵害である」として非難、これをロシア・イギリス・ドイツが支持 → 四国干渉(1914) ⇒第一次世界大戦が起きると再度朝鮮への進出試みる ② 寺内内閣の下、朝鮮出兵を行い朝鮮を占領 → ソ連=日本戦争開始 ⇒ 原内閣はソ連とウラジヴォストーク条約(1919)で満州を譲る代わりに朝鮮の支配を認めさせる → ヴェルサイユ条約にてウィルソン大統領が朝鮮破棄を求めたため日本は領土を独立させる ⇒ 世界恐慌の最中、京城事変(1932)を起こし朝鮮侵略 ⇒ 中華民国は朝鮮保護を理由に日本と交戦(日中戦争) ⇒ハルビン条約(1934)にて朝鮮併合 ⇒ ローズヴェルト大統領が反対 (ローズヴェルト干渉) →日米戦争へ ➂ 大韓帝国は中華民国に帰属する形を取り、袁世凱が清時代の冊封体制の復活を求め臣下の礼を取らせるが、日本がこれに反対 →日本と中華民国間で戦争が起こるも、袁の暗殺(北京事件)により終結、孫文は日本にこれは中華民国統一に侵害するとして再度日本へ宣戦布告 ⇒ ウィルソン大統領が日本を非難し日本は国際的に孤立 ⇒フランス・イギリスへ接近し、英日仏三国同盟を結ぶ(1920)

ThanksImg質問者からのお礼コメント

大変勉強になりました。 BAに選ばせていただきます。

お礼日時:10/29 17:19

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「日韓併合」は、当時の「国際法」上、「合法」であり「正当」である。 日韓併合については、国民の事を考えていない統治能力もない、そればかりでなく、国民および近隣諸国を戦乱に巻き込み続ける国、そういった場合、周辺の強国が国際的秩序の観点からその国を取り込む、国家安全保障という観点もある、それが正当であると考えられていた時代である。そこの国民のことを思うなら、併合も仕方がないというのが当時の「正当」な考え方となる。 「韓国(大韓帝国)」が自主独立できるチャンスはたくさんありました、しかし、英国は当時「韓国(大韓帝国)は日本に支配されることが韓国人自身のためにもなる」という結論を出しています。←これが「日韓併合の正当性」という事になります。 伊藤博文をはじめ、当時の日本には、「韓国(大韓帝国)」の自主独立を考えていた政治家はいました。 ----------------------------------------- 英ケンブリッジ大学の国際法学者J. クロフォード教授は「自分で生きていけない国について周辺の国が国際的秩序の観点からその国を取り込むということは当時よくあったことで、韓国併合条約は国際法上は不法なものではなかった」とし、また韓国側が不法論の根拠の一つにしている強制性の問題についても「強制されたから不法という議論は第一次世界大戦(1914年 - 1918年)以降のもので、当時としては問題になるものではない」としている。 ----------------------------------------- ↑「日・中・露」の間にあって「韓国(大韓帝国)」は「国際的秩序」を乱し続けていた。 ↑「韓国(大韓帝国)」の政治家には統治能力がない(国民のことなどさらさら考えていない)。 ↓日露戦争後の朝鮮半島を巡る国際情勢 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9F%93%E5%9B%BD%E4%BD%B5%E5%90%88#%E6%97%A5%E9%9C%B2%E6%88%A6%E4%BA%89%E5%BE%8C%E3%81%AE%E6%9C%9D%E9%AE%AE%E5%8D%8A%E5%B3%B6%E3%82%92%E5%B7%A1%E3%82%8B%E5%9B%BD%E9%9A%9B%E6%83%85%E5%8B%A2 ------------------------------------------- ↑英国のランズダウン外相はロシアの南下を阻止するため、韓国が自主独立の国家として存在することを望んでおり、ジョーダン駐韓公使に対して韓国の支援を行うように指示を行った。ジョーダンは韓国の立場になって日露の干渉を排除するために尽力していたが、日露戦争の終結時になると、ジョーダンはマクドナルド駐日公使に対して「日清戦争後に独立した韓国の状況を見ていると、韓国の政治家に統治能力がないため、此処10年の韓国は名目上の独立国に過ぎず、このまま独立国として維持されるのは困難である」と見解を示すようになる。マクドナルドもジョーダンに同意し、韓国は日本に支配されることが韓国人自身のためにもなるという結論をイギリス本国に報告した。ランズダウン、バルフォア首相は2人の見解を了承し、第二次日英同盟では日本が韓国を保護国にすることが承認された。 ------------------------------------------- ↑英国は、なんとか大韓帝国を自主独立させようと努力したが、大韓帝国自体が滅茶苦茶でどうにもならず「匙を投げ」てしまった。 ↓民間の政治団体・一進会の上奏声明 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9F%93%E5%9B%BD%E4%BD%B5%E5%90%88#%E6%B0%91%E9%96%93%E3%81%AE%E6%94%BF%E6%B2%BB%E5%9B%A3%E4%BD%93%E3%83%BB%E4%B8%80%E9%80%B2%E4%BC%9A%E3%81%AE%E4%B8%8A%E5%A5%8F%E5%A3%B0%E6%98%8E ↓併合 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9F%93%E5%9B%BD%E4%BD%B5%E5%90%88#%E4%BD%B5%E5%90%88 なお、「日韓併合」は国際法上「違法」ではありません、「日韓併合」は「1910年」です。国際法上、引っかかるのは↓以下からです。 1918年、ウッドロウ・ウィルソンが「十四か条の平和原則」の第5条で制限的な民族自決を記載してヴェルサイユ条約での原則となった。 国際法からの観点(日韓併合) 英ケンブリッジ大学の国際法学者J. クロフォード教授は「自分で生きていけない国について周辺の国が国際的秩序の観点からその国を取り込むということは当時よくあったことで、韓国併合条約は国際法上は不法なものではなかった」とし、また韓国側が不法論の根拠の一つにしている強制性の問題についても「強制されたから不法という議論は第一次世界大戦(1914年 - 1918年)以降のもので、当時としては問題になるものではない」としている ↓根拠(エビデンス) ↓ウィキペディア(Wikipedia)韓国併合再検討国際会議 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9F%93%E5%9B%BD%E4%BD%B5%E5%90%88%E5%86%8D%E6%A4%9C%E8%A8%8E%E5%9B%BD%E9%9A%9B%E4%BC%9A%E8%AD%B0 ↓神戸大学大学院(第3回韓国併合再検討国際会議「合法・違法」) http://www.lib.kobe-u.ac.jp/repository/90000398.pdf#search=%27%E7%AC%AC3%E5%9B%9E%E9%9F%93%E5%9B%BD%E4%BD%B5%E5%90%88%E5%86%8D%E6%A4%9C%E8%A8%8E%E5%9B%BD%E9%9A%9B%E4%BC%9A%E8%AD%B0%27 【 日清戦争前の朝鮮をめぐる国際情勢 】 当時、清と朝鮮以外の関係各国には、朝鮮情勢の安定化案がいくつかあった。日本が進めた朝鮮の中立化(多国間で朝鮮の中立を管理)、一国による朝鮮の単独保護、複数国による朝鮮の共同保護である。さらに日清両国の軍事力に蹂躙された甲申政変が収束すると、ロシアを軸にした安定化案が出された(ドイツの漢城駐在副領事ブドラーの朝鮮中立化案、のちに露朝密約事件の当事者になるメレンドルフのロシアによる単独保護)。つまり、朝鮮半島を巡る国際情勢は、日清の二国間関係から、ロシアを含めた三国間関係に移行していた。そうした動きに反発したのがロシアとグレート・ゲームを繰り広げ、その勢力南下を警戒するイギリスであった。イギリスは、もともと天津条約(1885年)のような朝鮮半島の軍事的空白化に不満があり、日清どちらかによる朝鮮の単独保護ないし共同保護を期待していた。 そして1885年(光緒11年)、アフガニスタンでの紛争をきっかけに、ロシア艦隊による永興湾(元山沖)一帯の占領の機先を制するため、4月15日(3月1日)に巨文島を占領した。しかしイギリスの行動により、かえって朝鮮とロシアが接近し(第一次露朝密約事件)、朝鮮情勢は緊迫してしまう。ロシアはウラジオストク基地保護のために朝鮮半島制圧を意図した。 ----------------------- ↑朝鮮の無能さのため、強国の干渉を受け、日本の国家安全保障をも危機におとしめた。 今の世界においても、「国家安全保障」は「最優先」となる。 つまり、「日韓併合」とは、韓国の大韓帝国の「無能」さを「原因」とした「自業自得」であり、当時としては「正当」となる。

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①1912年、辛亥革命で中華民国が成立し、翌年、大韓帝国を併合(中韓併合)した場合 日本が即座に中華民国に宣戦布告し、朝鮮を支配する。 ②1917年、ロシア革命が起き、ソビエト連邦が成立、その後5年に渡るロシア内戦を経て、ソ連は大韓帝国を併合(ソ韓併合)した場合 日本がシベリア出兵ではなく、朝鮮出兵を行い、朝鮮を支配する ③どの国にも併合されなかった場合 日本が即座に宣戦布告し、朝鮮をしはいする

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日韓併合は、日本が朝鮮半島を大陸進出の足場としたいという構想から、半島に超大規模投資をして日本本土並み以上に近代化するために、財政破綻していた大韓帝国の負債引き受けまでして、国内の猛反対を押し切って断行したものです。 なぜ欧米諸国が世界中でやったような単なる植民地、つまり奴隷国家とでも言った方が的を射ていた傀儡国家にしなかったかと云えば、単なる植民地では、外国になるため、日本の国内予算、つまり血税の相当部分を朝鮮半島に回さなくてはいけなかったからです。 実際に潤沢な予算を回された半島は、短期的に世界最貧国から日本並みの生活水準まで引き上げられました。おそらく賊軍エリアだったために投資が遅れていた日本の東北地方よりも豊かな生活が出来たのではないかと思われます。 中国にとっての朝鮮は、秦の始皇帝が築いた万里の長城の外です。つまり蛮国エリアの国です。長城外の国で中国の版図に組み入れられたのは、清国の支配民族が中国東北部の女真族で、自分たちの東北部を清国に組み入れたことだけです。 ゆえに、中国は相変わらず大韓民国の国名を単に「朝鮮」に戻すだけで、朝鮮の近代化を手伝ったり、負債を肩代わりしてやるなんてことは絶対にしなかったでしょう。つまり中国の場合は、絶対に「併合」はしません。外交権を中国が持つだけで、他は放置するだけでしょう。 ソ連の場合も、あの国はロシアを盟主とする連邦国家ですが、後の東欧とおなじように、朝鮮も衛星国家とするに止めたでしょう。「併合」はしません。財政援助の見返りに内政権の一部に、外交権と軍事基地の提供を受ける、という感じでしょうか。

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多分ロシアに併合されたらロシアを恨み 中国に併合されたら中国を恨むでしよう どこの国にも占領されないということはありえません 日本は英国の駒ですから、英国によって占領もされず近代化してくれて、列強の仲間になりましたが、朝鮮にはどこも援助しませんでしたから、占領されていたでしょう だから同朋である、日本が併合したのでしょう 勿論英国の勧めもありました