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2020/11/8 20:18

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南部氏は日本の最北にいるのになぜ南部なんですか?

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南部氏の祖は甲斐源氏加賀美遠光の三男光行です。巨摩軍南部南部(山梨県南巨摩郡南部町)を本貫地として、この子孫は南部と称します。光行は奥州藤原氏侵攻の奥州合戦(1189年)で軍功を挙げて、陸奥国糠部郡(青森県八戸市等)を新恩給与されます。ここに光行子孫が移住して勢力を付置し、時代を経て徳川幕府の南部藩となります。

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南国伊豆に北条氏がいたのでバランスを取ったのでしょう。 なんといってもすごいのは平成・令和の超低金利政策を予言するかのような毛利という名字です。毛利とは利率0.01%のことで、定期預金がこんなに低金利になったことは歴史上ありません。鎌倉時代に未来のことがなぜ予見できたのか。

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東西南北の南ではありません。 ハショって書きます。 まず、南部氏とい武家がありました。 南部氏の本姓は源氏。 中略 文治 5年(1189年)秋の奥州平泉攻撃に、加賀美遠光父子四人が頼朝の本陣に従軍、藤原泰衡軍との合戦に功を立て、その功によって南部光行は陸奥国糠部五郡の土地を与えられます。 建久 2年(1191年)の末 家臣数十人とともに入国したと、家伝では伝えられているようですが、拝領を支証するものはなかったと。 南部氏は南北朝時代から戦国時代にかけて急速に勢力を伸ばし、はじめは三戸(現在の青森県三戸郡三戸町)に居城を構えていましたが、豊臣政権を後ろ盾として九戸政実を鎮圧、九戸城を福岡城(岩手県二戸市) と改め移転しました。さらに前田利家らの仲介により豊臣秀吉から閉伊郡、和賀郡、稗貫郡の支配も認められると、本拠地である三戸が領地の北側に大きく偏ることとなったため、本拠地を盛岡に移した…… このような経緯の末、南部氏が治めた地ということで南部藩と呼ばれ、南部地方と呼ばれるようになりました。

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南部は甲斐国の地名で、そこを領していたことから南部を名乗りました。 その南部の一族が南北朝時代の争乱時に陸奥へ行きそこに定着したのが陸奥の南部氏です。