今では大人が少年漫画を読むのは当たり前ですが、昔は少年漫画を読む大人は恥ずかしいといった風潮或いは偏見があったのしょうか?
今では大人が少年漫画を読むのは当たり前ですが、昔は少年漫画を読む大人は恥ずかしいといった風潮或いは偏見があったのしょうか?
ベストアンサー
どこを「昔」とするか次第ですが、20年ぐらい前はまだ、「通勤途中の会社員が電車内でジャンプ読んでる」なんて光景に批判があったと思います。 ただ、20年ぐらい前だと、いわゆる「ジャンプ黄金時代」あたりに少年時代を過ごした人が「大人」の仲間入りしている時期で、「子供がマンガを読むこと」にはかなり寛容になっていたころです。 また、このころにはいわゆる「青年漫画誌」が充実していたので、大人は「青年漫画」を読んでいたわけです。 もっと昔、50年前とかになってくると、「大人が漫画を読むなんて」という風潮の時代です。 「大人」は、「漫画自体を読まない」わけです。 で、この「間」の時代、つまり30年~40年前ぐらいがどうだったかというと、いわゆる「過渡期」です。 「大人が漫画を読むなんて」という風潮はありつつ、子供時代に漫画に親しんだ世代が「大人」になってきたので、「漫画を読みたい」という「大人」が増えてきます。 この流れで、「青年漫画」が本格的に作られるようになります。 典型例としては、1985年に「ビジネスジャンプ」が創刊されます。 「ビジネス」とついていますが、別に内容が「ビジネス」なわけではなく、「ビジネスマン向け」ということです。 つまり、「大人が漫画を読むなんて」→「大人が少年漫画を読むなんて」→「大人でも少年漫画読むよね」という流れです。 これ、もっともっと昔から続いていることです。 例えば、今「好きな作家は夏目漱石です」なんて言ったら、単なる「趣味が小説」以上の人だと思われるでしょう。 じゃあ、「夏目漱石が現役だったころ」の「風潮」がどうだったかというと、新聞に「最近の若者は夏目漱石みたいな軽い小説ばかり読んで、漢文の一つも読まない。嘆かわしい」なんて書かれていました。 つまり「夏目漱石」は、「大人」が読むようなものではなかったわけです。 それが時代が変わって、「文学作品の代表格」みたいな扱いになったわけです。 漫画も同じ。 今、「好きな漫画家」として、手塚治虫とか石ノ森章太郎とかを挙げれば、ライトな「少年漫画」ファンとは違う、みたいな感じがしますが、手塚だって昔は「悪書」として糾弾される対象でした。 「大人」はおろか、「子供」ですら読むべきではない、とされていたわけです。 それが今や、名だたる偉人と並んで児童書の伝記コーナーに「手塚治虫」が並ぶようになったわけですから、「そういうもの」だということです。 「大人は小説なんか読まずに漢文を読むもの」→「大人は漫画なんか読まずに小説を読むもの」→「大人は少年漫画なんか読まずに青年漫画を読むもの」→「大人でも少年漫画ぐらい読むよね」と移り変わってきたわけです。 30年後に10代ぐらいの子が、「鬼滅の刃が好き」とか言ったら、「あの令和の初めに流行った作品を知ってるなんて、なかなか通ですなぁ」なんて大人にチヤホヤされる、みたいなことになってるんじゃないですかね。 ちなみに、「少女漫画」も同じような感じですね。 「りぼん」とか「ちゃお」系統はともかく、「マーガレット」とかの作品であれば、男性が読んでいてもそこまでどうこう言われなくなりました。 30年ぐらい前は、「少女漫画を読んでいる男性」なんて、子供も含めて「異常」ぐらいの扱いでしたから。
各時代の漫画に対する価値観の変遷ついて詳細に教えて頂き、大変参考になりました。 30年後の「鬼滅の刃」の喩えは面白かったですね。将来的にどういう位置付けになっているのかかなぁ。ひょっとしたら「ドラゴンボール」みたいに神格化されているかも…。 回答ありがとうございました。 m(_ _)m
質問者からのお礼コメント
ベストアンサーはこちらの方に致します。皆さん、回答ありがとうございました。
お礼日時:2020/11/26 23:22