最盛期の後北条氏(250万石&小田原城総構え完成済み)を独力で攻め滅ぼす事ができた戦国大名は、存在したでしょうか?

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やはりそうなりますよね。 島津氏や家康、政宗にしても石高で北条家には叶わないのですから、籠城側より少ない兵数で包囲しても勝ち目ないですよね。 日本国内で圧倒的に国力が抜きん出ており、本拠が堅城である北条氏を滅ぼす事のできる勢力は、統一政権以外ないですよね。。

ThanksImg質問者からのお礼コメント

ありがとうございました。

お礼日時:2020/11/29 10:12

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秀吉の小田原攻めのように、一回の戦で最盛期の北条氏を滅ぼすことが出来る戦国大名は確かに存在しないでしょう。 しかし、そもそも戦国大名は一回の戦で相手を滅ぼすような戦いはほとんどしません。 基本的には数年~10数年、時には数十年にも及ぶ長い戦いの中で、徐々に一方の国力が他方を圧倒してやがて滅ぼす、という展開になる方が一般的です。 そのような展開で北条氏を滅ぼす事が可能な戦国大名ならば、いくつか存在したと言えるでしょう。 まず、北条氏の石高が最盛期を迎えた際の北条家の事実上のトップは北条氏政ですので、北条家を指揮するのは氏政だと仮定します。 ところが、氏政は必ずしも戦が強い武将ではありませんでした。 実際、氏政は武田勝頼と敵対した際に、勝頼に次々に領土を奪われ、このままでは北条家は滅ぼされてしまうと口にするほどでした。 当時北条家の勢力は最盛期ほどではありませんでしたが、それでも武田家よりは圧倒的に上で、200万石程度はあったと思われます。 対する武田家は長篠の戦いの後で石高は100~110万石程度、有力武将も多くが死亡し弱体化は著しく、その勢力は北条氏の半分以下だったことでしょう。 にもかかわらず、勝頼は北条から領土を奪い取っていたわけです。 具体的には北条氏政が武田勝頼と争っていた期間は4年間ほどですが、この間に石高にして概ね20万石ほどの領土が武田に奪われています。 このまま両者が争い続けた場合、10年もすれば勢力差は逆転し、実際に北条家は滅ぼされてしまったものと思われます。 この実績を見れば、武田勝頼を超える能力と国力を持つ戦国大名ならば、長期的に見れば、最盛期の北条氏をも滅ぼせると考えることが出来ます。 例えば、最盛期の武田信玄ならば、石高は120万石ほどになり、その能力が勝頼以下という事もないでしょうから、10年ほどの期間戦い続ければいずれ最盛期の北条氏を滅ぼす事も可能と思われます。 同様に最盛期の上杉謙信、三河・遠江・駿河・甲斐・信濃を制した状況の徳川家康、九州制覇目前の状況の島津義久、最盛期の毛利元就、なども北条氏を滅ぼす事は可能と思われます。 これらの戦国大名の領土が北条氏と隣接しており、十年以上に渡って戦い続けるという条件ならば、一つ一つの城の取り合いや、幾度かの合戦の結果、徐々に北条氏の領土を奪い、いずれ勢力を逆転させてやがては北条氏を滅ぼしてしまったものと思われます。 ただし、上記の推測は全て北条家の当主を氏政と仮定した場合の話です。 当主の能力も最盛期と考え、格上相手にも勝利していた初代早雲(伊勢宗瑞)や、2代目氏綱、あるいは信玄・謙信とも互角に戦った三代目氏康を当主と仮定し、しかも石高は250万石とするならば、流石にこれを単独で滅ぼせる戦国大名は思いつきません。

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確かに武田には、北条は押されっぱなしという印象がありますね。10年くらい時間かければ徐々に北条の領地を侵食できたかも。上杉謙信も局地戦には強いですが、統治がイマイチなので、北条氏の地盤をスムーズに領国化できたかどうかは疑問が残るところです。 家康や島津は野戦に持ち込むと強いのですが、城攻めはどうでしょう?小田原城に限らず北条の城郭ネットワークは強固です。徐々に潰せたかもしれませんが膠着状態に陥ることも考えられますね。 ありがとうございました。

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文禄・慶長の役で、明の大砲により秀吉軍が相当苦戦したようです。 この明の大砲が、いつ頃から明に存在していたのか、あるいはヨーロッパから明に伝わったものなのか、そして性能がどのくらいなのか不明ですが、もし可能であればこの大砲を入手して、それこそ「太閤一夜城」と呼ばれる石垣山に設置して小田原城を攻撃すれば、容易に攻略出来るのではないでしょうか。

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滅ぼす可能性があるのは、上杉、武田、毛利、長宗我部など。数カ国に勢力を張り出したような大名であれば、どれも勝てる可能性がある。 ただし、後北条氏をはじめ、上のような大名は、独力で大敵を滅ぼすなんてバカなことは考えない。調略を仕掛けて敵の家臣団を弱体化させ、周囲の大名と連合して包囲し、その上で攻め込む。後北条氏もそうやって大きくなった。それがセオリー。 独力で敵と戦うことに拘って、それでも大きくなったのは上杉謙信くらいのもの。

回答ありがとうございます。 独力で戦うのはあくまで仮定の話です。 後北条氏は秀吉に滅ぼされたので、一般に軽視されていますが、じゃあ当時秀吉以外で勝てる大名がいたのか?って思ったので質問してみました。 徳川も上杉も武田も毛利も島津も伊達も、最盛期でも200万石には達しておらず、長宗我部に至っては四国全土を統一しても100万石にも届いてないと記憶してます。 200万石超の北条軍が難攻不落の小田原に篭ったら、、結局は撤退するしか道がないかと。城攻めには内にこもる兵の3倍必要と言いますが、石高に勝る北条の籠城兵の方が多いのですから。 なので、タダの地方の群雄レベルでは、最盛期の北条氏を屈服させるのは、至難の業かと思います。

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素人ですが、いないような・・・ (例)ぐらいしか思いつきません。 毛利元就が 陰謀を使うとか? キリシタン大名の大友宗麟が、自慢の大筒「国崩し」を 小田原城に撃ちまくっても、広すぎて 効き目がなさそう?

大筒撃ちまくり、可能性あるかもしれませんね(笑) 毛利元就の謀略で、内側から崩すというのも成功するかどうかは分かりませんが、元就ならトライはするでしょうね。でも後北条氏は一族間の結束が固く、家臣団の統制も取れていたので、簡単に元就の策謀に引っかかるか、未知数ですね。