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2020/11/24 23:12

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奥羽悦列藩同盟の主力の一つ、仙台藩ですが、なぜ酷い装備で戦いに望んだのでしょうか。

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ThanksImg質問者からのお礼コメント

水戸藩も同じですね、こういうことがあると後々まで問題になりますね。

お礼日時:2020/11/28 12:35

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戊辰戦争は初めからあの戦争をしようとして起きたものじゃありません。ごく短期間のうちに戦争に発展したものです。 以前から倒幕を叫び、英仏などとも戦争経験のある薩長の軍備と、幕府についてきただけの佐幕諸藩とは軍備差があるのは当然です。佐幕藩は「治安維持」向けの装備しかなかった。会津藩も鳥羽伏見から引き上げる途中に江戸で急遽軍備を洋式に改めミニエール銃も調達したが、基本的には恭順姿勢だった。仙台に至っては新政府軍の奥羽鎮撫総督府を受け入れ、最初は東北諸藩を攻撃する側だった。最初から明確に薩長と戦う意思があり、軍備を整えてたら結果は違ってきますよ。それに徳川家が早々と恭順しちゃったから戦意もイマイチだったと思います。東北戦争は会津も庄内も許してやれよとの仙台藩の嘆願を新政府が受け容れていれば起きなかった戦争です。東北諸藩が抵抗したというより、新政府、とりわけ長州藩の怨恨による「東北征伐」です。 東北人としては未だ許せない思いですね。

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仙台藩も最新鋭装備の洋式部隊はあったよ。 「鳥羽・伏見の戦いの後、反薩長の立場であった仙台藩は危機感を覚え、戦争準備と装備の近代化の必要を痛感し、洋式部隊の編制に着手した。西洋砲術や歩兵術を学んでいた星恂太郎を横浜より呼び戻して、慶応4年(1868年)4月に額兵隊を結成した。 恂太郎が横浜で仕入れてきた元込め式のスナイドル銃を装備した最新鋭の部隊で、隊士はイギリス式調練を受け、イギリス軍に倣った赤黒リバーシブルのラシャ製の軍服を着用したことで知られている。隊員は家中の次男、三男から募り、6個小隊編成で総員約800名。士官隊の他、四斤施線式砲2門、榴弾砲1門、砲兵や工兵だけでなく、軍楽隊まで編成されていた」(ウキペディア 額兵隊) これ以外にも、慶応四年に入って仙台藩は一万挺以上のライフル銃を購入して藩士に廃分している。

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長岡藩は、他藩同様に藩の財政がひっ迫していましたが、 河井継之助の才覚で、余分なモノは売り払い、 短期間に武装を近代化する事に成功しました。 会津藩は、京都守護の任務を受けた影響で、 藩の財政が最悪の状態でしたので、 武器を購入する軍資金がありませんでした。 6年間の京都の警護に2,000人規模の軍勢を常駐させ、 幕府からは、わずかな補助金しか出ませんでしたので・・・。 仙台藩は、それらから見れば、まだ恵まれているので、 単なる近代化を怠った「怠慢(たいまん)」でしょうね( ノД`)シクシク…