大津はオランダで結果を残せなかったところからスケールダウンした感じはあります。杉本はU23でもレギュラー格ではなかったし、扇原、山村はU23ではボランチ、CBで欠くことのできなかった選手ですが、A代表では10年近く遠藤、長谷部、吉田麻也が君臨していたので壁が厚すぎたって事でしょう。
大迫を最後に外した関塚の決断は理解できませんでしたが、当時大津が好調で、永井というスピードキングを切り札にして、何となく大物感漂っていた杉本を控えの切り札にしたと考えると、FWの枠が多すぎて仕方なく外したのかもしれません。
原口は当時浦和で、同僚選手に暴力をふるって謹慎したりして精神的に子供だったのと、斎藤学や香川(結局U23でオリンピックには出場せず)などを攻撃的MFの中心するプランでは必要なしと判断したのでしょう。