新撰組 『壬生義士伝』の主人公こと吉村貫一郎はモデルになった人物はいたが、実在しなかった見方が強まってるそうです。

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南部盛岡藩には、創設いらいの筆頭家老相当に「中野吉兵衛 キチビョウエ」様がおりました。 代々、3,000石でした。 そして、幕末 の頃には南部吉兵衛となって、藩侯の一族(御三家)のうちでした。 それを、もじって、小説では「大野」としたかも? しかし、大阪留守居 役として、出張るには偉すぎます(藩侯の身内です)。 やはり、「大野」としたのは、小説のもじりですな。 なお、楢山佐渡はそれに次ぐ、着座高知(チャクザ・タカチ)で1,300石 の家老でした。 さらに、その次の高知(タカチ)の筆頭は石亀家(1,000 石)で、盛岡郊外の雫石に1,00石分の新田領地を持っていました。 この雫石は、昔から美人の産地でした(雫石あねっこ)。 小説のモデルの吉村貫一郎の妻子は、この雫石に居た。 モデルの本人とされる嘉村権太郎の兄は、嘉村祐尚様で、盛岡藩 向中野(ムカイナカノ)・見前通(ミルマエ・トオリ)代官(200石)であった。 その 弟・権太郎は、慶応元年に脱藩し、新撰組に入隊、明治元年、 (京都府)伏見の戦で戦死した。 可成りの剣豪でした。 この嘉村家の先祖は和泉(大阪府)の人で、大阪で留守居役を努めて いたことがある。 従って、嘉村権太郎(小説では吉村貫一郎)が、最後に 訪ね(て割腹し)たのは、確率的には、大阪の此の縁者の処かも知れぬ。 この辺の事を、小説『壬生義士伝』の作者・浅田次郎は上手に、取り上げ 脚色して居られると思います。 巧いもんだ! 個々のイヴェントは、架空ではなくて、それぞれは、実在の事件のようで あります。 参考:岩手県姓氏歴史人物大辞典(角川書店・平成十年)

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