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元王朝の公式文書はモンゴル語がでしたが、ノルマンコンクエスト後の英語の様に中...

kat********さん

2009/3/101:20:49

元王朝の公式文書はモンゴル語がでしたが、ノルマンコンクエスト後の英語の様に中国語はモンゴル語から影響を受けましたか?

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ベストアンサーに選ばれた回答

Mijanponaさん

2009/3/102:45:13

受けました。
当時は、モンゴル語直訳漢語というのが存在し、モンゴル語の語順(日本語と同じ)のままに漢語訳を当てはめていくような文章があって、碑文や古文書に残っています。

また、文法面では、複数形を表す接尾辞「我们,你们」の 们 -men などは、日本語の「~たち」、トルコ語の -lar/ler、モンゴル語の -nar/ner、朝鮮語の -deul と使い方が似ているのですが、これはアルタイ系言語の影響だと見られています。処置式「把~」が限定された目的語を表すのは、モンゴル語を含むアルタイ系言語の対格の特徴です。完了の接尾辞「了-le」や、状態を表す「着 -zhe」は、モンゴル語の完了の動詞語尾 -laa/lee や、副動詞 -ju の影響だという説もあります。

語彙面でも、モンゴル語から漢語に入った単語が、元朝当時は政治用語を中心にかなりありましたが、現代語まで残っているのは少し(「站 zhan」駅、など)です。これは、ノルマン人がイギリス人に溶けこんでしまったのに対し、モンゴルは漢人に溶けこまなかったことと関係があります。

しかし、モンゴル語より漢語に影響を与えたのが、鮮卑語です。鮮卑族は漢人を征服し漢人に溶けこんでしまいました。南北朝時代に北朝を建てたのは多くは鮮卑族で、隋や唐も鮮卑族の王朝です。三国志の時代の長期戦争で3千万以上いたとされる漢人の人口が5分の1に減少し、その空白に入ってきたのが鮮卑です。彼らは華北に定着し、現在の北方方言を話す中国人(長江以北の漢族)はみな鮮卑とその後に溶けこんだ契丹の血を引く末裔です。現在の中国語で基礎語彙なのに語源がわからない「什么 shenme」(何),「怎么 zenme」(どのように)などは鮮卑語だという説があります。語頭の二重子音が消えたのも鮮卑語の影響だとされます。ただ、もとの鮮卑語が詳しく残っていないので、これらに確証はありません。

質問した人からのコメント

2009/3/2 21:32:43

成功 とても詳しい情報ありがとうございました。

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