漢語は大和言葉に同化させるのではなく大和言葉との違いを活かすのがその上手い使い方です。
漢語は大和言葉に同化させるのではなく大和言葉との違いを活かすのがその上手い使い方です。 すなわち漢語は大和言葉とは大きく異なっているからこそそれを補完することが可能となりその表現力が豊かになるのです。 そうなら大和言葉、漢語を将棋の駒に喩えると大和言葉は歩、漢語は桂馬になりますか?
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概ねそうです。 桂馬、漢語ともそれを上手く使えば絶大なるスペックを発揮することがまづ共通しています。 また将棋を指した者ならこのことは常識といえるほど誰でも知っていることですが桂馬と歩との差異は飛車と歩よりも桁外れに大きくこのことは漢語と大和言葉の違いに比べれば通常の意味での外来語である英語系外来語と大和言葉の違いなど無に等しいといえるほど漢語は他の語と桁外れに異なった語であることに対応していると考えれます。 (勿論私も貴方と同じく根っからの漢語異質説者です。) ただし大和言葉を将棋の駒に喩えると歩になるというのは違うと思います。 すなわち大和言葉は歩に喩えられるほどそのスペックは貧弱ではないと私も思いますしその表現力の豊かさを考えると飛車に相当するとまではいえないものも金将、銀将くらいのスペックはあると考えれます。
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