山田孝雄著の『平田篤胤』の感想・レビュー・書評をお願いします。

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これは平田先生の『古史傳』の九の卷の三十枚目の裏のところに、「すべて(鈴屋)師の、須佐之男命、禍津日神の事を言はれし説どもには、甚く違へる事ぞ多かれ」。こゝが非常に違つて居る。それを簡單に説明致しますならば、禍津日神といふのは、御存じの通り、伊弉諾尊が夜見國にお出でになつて穢れを受けて、檍原で洗身(みそぎ)せられた。その時に、夜見國の穢れが、伊弉諾尊の御身から離れた時に、その穢れが神樣になつたのが、大禍津日神・八十禍津日神である。これは『古事記』も『日本書紀』も、皆な同じである。それを本居先生は、「これは夜見國で受けられた穢れが神となつたのだから、世の中に禍ひをなすところの神樣だ」といふのであります。けれども平田先生の考察は、さうではない。「穢れが神樣になつたには違ひない。けれどもそれは、世の中に禍ひをする神樣ではない、禍ひを憎む神樣だ」といふのです。二人の見解は、非常な違ひであります。