織田信長に勝てるわけないのに、なぜ松永秀久は裏切ったんですか? 勝てるつもりだったんですか?

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上杉謙信がいよいよ上洛する、という情報が、 京都の公家や僧侶たちの間でも噂に待っていたので、 籠城して頑張っていれば、上杉がやって来て、 織田家を畿内から駆逐してくれると、 予想したのでしょうね。

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Q「織田信長に勝てるわけないのに、なぜ松永秀久は裏切ったんですか?」 1572年に裏切った際は主君・三好義継とその上司筋である将軍・足利義昭が信長を裏切ったため乗っかっています。 松永久秀の家臣の多くは三好家からの与力衆と大和衆からなっていたために主家と反する行動は取りずらかったと推察されています。 1577年の裏切りの際は 前年(1576年)に自身が三好長慶から一国管理を任された大和が 織田信長によって「筒井順慶」の物(大和一国一円筒井順慶存知)とされたため大和衆が筒井家に走る者と、松永家に残る者で分裂しながら争い始めており追い詰められ反旗した模様です。 Q「勝てるつもりだったんですか?」 勝てずとも粘れば織田包囲網によって織田家がダメージを受け送られて来る軍勢の数が減り、筒井家に反撃できると考えたと見れます。 紀伊では紀伊衆による織田家に一揆が起きており、 本願寺に援助を求めていることから「摂津、紀伊、大和」での反抗で大和の国人衆に再び松永家に靡いてほしかったのだと思います。 また、時間的にも筒井家に大和の国人衆の全てが靡いてしまい大和支配が完全になる前に立ち上がらなければ大和衆の手勢も無くなるわけで反撃の目も絶たれてしまうため翌年に立ち上がったと推察できます。

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