織田信長には、たくさん子供がいたのになぜ信長一人死んでダメになっちゃったんですか? 豊臣秀吉のせいですか?

日本史79閲覧

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織田信長には、たくさん子供がいましたが、後継者教育は長男信忠にのみ行い、他の子は多く養子に出しています。次男北畠信雄、3男神戸信孝、4男羽柴秀勝など。長男信忠も二条城で明智光秀軍に責められ、自害して果てました。信長後の清洲会議で秀吉が信忠の長男を後継者に挙げると、重臣はだれも反対できなかったのは、正当な後継者と誰もが認めていたからでしょう。なお、信長の葬儀は、4男秀勝を喪主として行われています。

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信長の長男も本能寺の変で亡くなりましたが、次男、三男が、織田家を継げました。 しかし、清須会議でまんまと秀吉に、政権を簒奪されてしまったのですよ。

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信長はすでに嫡男信忠に本能寺の変の6年前に家督を譲っていました。 その信忠もこの変で亡くなったことがとてつもなく大きい影響がありました。 その信忠も狙えるチャンスだったので、変は起こりました。 逆に言えば、信忠が予定を変更せず堺で家康と過ごしておれば、本能寺の変は起こらなかったということです。 信長一人葬っても、家督を継いでいた信忠の指揮のもと、簡単に制圧されるだけでした。 信長の次男・三男が組まず、重臣の清須会議に後継問題を一任したことが最大の失敗でした。うまく秀吉に付け込まれてしまいました。

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子供は沢山いれば良い、というものでもありません。 織田家の場合は、正当な後継ぎである信忠も死んでしまい、 その結果、残された次男と三男が後継ぎを争う事態に陥りました。 次男と三男は、母親の違う同い年の兄弟だったので、 もともと、対抗意識も強かったのでしょう。 その兄弟争いを秀吉に利用されて、織田家の実権を奪われたのです。

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実績がないと誰もついてこない。生死がかかっていますので。 参考になるのが、北条家。 早めに当主が隠居して、次代が戦争の実績を作っています。 織田家でも、信忠に織田家の家督が渡され、実績を作っていましたが、他の子供は実績がありません